タラント

地震

礼拝日である土曜日。朝から弘前にいる方を教会にお招きするため1時間早く教会に行き迎えに行った。毎年ゴールデンウィークは弘前公園の桜祭りで多くの人が弘前に集まるという。今年はコロナの影響で桜祭りは行うものの県外からの観光客は少ないとのこと。毎日送迎を担当する者からすると普段使っている道路が混むことは治療に支障が出るため不安である。抜け道などを知っている地元の人なら良いが自分はど素人。教えらえた道しか走ることができない。渋滞に巻き込まれないよう祈りながらハンドルを握る毎日である。

教会に戻ってから直ぐに聖書研究の時間が始まったがその途中で腕のApple Watchが振動で何かを知らせている。司会の方に失礼なので普段は見ないのだが今日は何気無く腕の時計を見てしまった。するとあと57秒で地震が来るとの警告。「これから地震が来るようです」とそれとなく大きな声で言ってみた。実際1分ぐらいで部屋が揺れ始めた。揺れはさほど強くなかったが大きく揺れしかも非常に長い時間揺れたので船酔いをしたような気分になった。またApple Watchが警報を知らせてくれた。今の地震が宮城県を震源とするもので震源近くでは震度5強とのこと。世の終わりにはこういうことが頻繁に起こるので、これもイエス様のご再臨が近いことを物語っているのだろう。地震は凄く苦手だが、今日は不思議と恐怖心はなかった。できればこのままご再臨にならないかな、と外を眺めていた。家族とともにご再臨を迎えたかったけど今の苦難が続くことを考えればこのままご再臨になった方が良いと瞬間的に思った。が、今日もイエス様は来られなかった。

ある教会の礼拝説教

礼拝が終わり家に戻ってから直ぐに他の教会の礼拝メッセージをYouTubeで視聴した。登録しているチャンネルでいつもの牧師先生がお話をされていた。タラントのたとえ話であった(マタイによる福音書25:14-30)。ある主人が旅に出るため使用人を呼びそれぞれの能力に応じてお金を預けて出かけるのである。最初の人は5タラントを預けられた。1タラントは6000日分の賃金というからかなりの金額である。計算しやすく1日の賃金を10000万円とするならば1タラントは6000万円ということになる。東京都内に土地付き一戸建てが建つ金額である。際hその人は5タラントだから3億円。次の人は2タラント。1億2000万円。最後のひとは1タラント、6000万円を預かった。それぞれそのお金を管理したがはじめの2人はそれを運用した。そして主人が帰って来てどれだけ増やせたかを確認すると最初の人は5タラントを設け都合10タラントにして主人に返した。次の人も2タラントを更に設け4タラントにして返した。しかし1タラントを預かった人は運用を失敗して主人に怒られ弁済させられるのが怖くそれを運用せずそのまま1タラントを返した。主人はこの運用しなかった使用人を厳しく叱り全てを取り上げてしまった。今日の礼拝メッセージはこの例え話からのお説教であった。自分はこのお話を聞きながらしばらく考えていた。主人(神様)はそれぞれの能力に応じてタラントを託されたとある。2タラントを運用する能力に人に5タラントを託したわけではない。それぞれの力、能力をご存知の神様は一番良い量を託されたのである。そこで思い出したのが次の言葉である。

あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。

 There hath no temptation taken you but such as is common to man: but God is faithful, who will not suffer you to be tempted above that ye are able; but will with the temptation also make a way to escape, that ye may be able to bear it.

コリント第一10:13

神様はそれぞれが終える試練の度合いをよくご存知できちんと耐えられる試練を用意されている。またその試練が起こることを許されている。ならばこれも能力に応じて与えられたタラントをなのではないかと思ったのである。正しいのかどうかは分からない。しかし試練も神様をお伝えする道具になり得る、イエス様を証しする管になるという考えに至った。自分は負わされた試練の大きさ、重さに不平を言い祈りが聞かれなかったと神様に愚痴をこぼし駄々っ子のように「こんな試練を負わせるのならいっそ自分の命を奪って欲しい」とさえ祈ったことが何度もある。しかし、神様はこの試練を福音宣教のために用いることを期待していらっしゃるのかもしれない。よく分からないが今日の礼拝メッセージを聞きながらそのようなことを思った。

昨日で黙示録の研究が終わったので今日から聖書で最も古い書物である「ヨブ記」を1章ずつ勉強することにした。礼拝メッセージや聖書研究ガイド、個人的な聖書の学びなど溢れる御言葉の中に身を置くことができた安息日となった。

礼拝メッセージはこちら 「終わりの時の管理人」
メッセージは17:30から

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