鼎談

久しぶり

一昨日、久しぶりに兄弟で連絡をとった。母の葬儀から3週間。まだ、3週間しか経っていないことに驚くと同時に1週間前からの時間経過の速さにも驚いている。兄弟3人、それぞれに色々な思いをもってこの時間を過ごしたことを改めて感じた。大きな喪失感の中で苦しむ時間が長く続いているが姉や弟も同じような気持ちだったことを知り少しホッとした。寂しさや空虚感という落とし穴に自分だけが落ちてしまっていると感じていたがそうではなかった。

姉は入院中の母のお世話を一人でしてくれていた。本当に申し訳ないと思いながらも全て任せてしまっていた。その姉が「お母さんが入院中は何を見てもお母さんを連想して涙が出ることが多かった」と話していた。3人の中で最もしっかりしている姉がそのようなことを言ったので弟と一緒に驚いた。再臨までの短い期間、面会できない病院に入院していると思い込もうと現実逃避を決めた自分であるが姉はそうはいかない。春の納骨までは姉の家にお骨と遺影があるからだ。本当に申し訳ないと思いながら、とにかく再臨までの時間が少しでも短くされることを祈るばかりである。

変な話

非常にクリスチャン的ではない、というかしてはいけない想像だと十分理解している。が、心の中で少し悶々としていることがある。実は先日、姉が父を連れて実家に行ってくれた。自分も母が亡くなった後数日実家で過ごしたので同じことを感じたのだが、実家は当然のことながら母が脳梗塞で倒れる直前のままの状態になっている。このまま母が戻ってきても全く違和感のない空間があるのだ。そこに行ったので姉父も少し母がいるのかいないのか分からなくなってしまったようだ。自分も全く同じ気持ちになった。最後に実家を使ったのは自分である。1月9日まで使っていた。それ以降誰も実家には入っていない(はず)。姉が「食器棚、随分綺麗に片付けてくれたありがとう」と言ってきた。台所は毎日使っていたのでそれなりに整理整頓はしていたが食器棚を綺麗にした記憶は無い。結構雑然としたまま家を出てしまった。それなのに食器棚が種類ごとにきちんと整頓されていたらしい。自分も姉にこの程度までは片付けたけど・・・と記憶にあることを話したが現状と少し違うらしい。勿論、自分も平常心ではなかったので無意識に片付けた可能性もゼロではない。しかし記憶がない。そしてどちらからともなく「じゃあ・・・お母さん?」と思わず言ってしまった。

岩木山

とんでもない量の雪が降り続いたが今日は久しぶりに朝から青空が広がっている。ずっと見ることができなかった岩木山、今日はとても綺麗だった。朝与えられた聖書の言葉にも勇気付けられた。

「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。」
イザヤ書 41:10 JA1955

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