信仰の試験

自分は何のために?

自分が青森にいること、このような仕事をしていることの意味が全く分からない。時々少しわかるときもあるが基本的には何も分からない状態でただただここから逃げ出したい気持ちでいっぱいである。ここにいる意味のほんの少しでも分かれば老害のパワハラにももう少し耐えられるかもしれない。

そんなことを考えている時に、しばらく連絡をとっていなかった娘から突然メールがきた。色々な近況が記されており決して平坦ではない毎日を過ごしていることを知った。それでも彼女が救われた言葉があったと紹介してくれた。「今日の光」という書物の4月15日の記事だった。それを読んでいて「確かにそうだな」と娘だけでなくいまの自分にも全く当てはまる言葉が書かれていたので感動した。

今日の光

信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。

By faith Abraham, when he was called to go out into a place which he should after receive for an inheritance, obeyed; and he went out, not knowing whither he went.

ヘブル11:8

神はアブラハムをご自分の使者として選び、彼を通して世に光を伝えようとされた。神の言葉は多額の給料や高い評判、世的な栄誉を得ると言った、この世における喜ばしい見通しを彼に提示するものではなかった。「あなたは生まれ故郷父の家を離れて私が示す値に行きなさい」がアブラハムに対する神の言葉であった。族長は従った。・・彼は自分の故郷、家庭、親戚、地上生活に関わるあらゆる楽しい交わりを捨て、よそ者、仮住まいのものとなった。

アブラハムは・・この件における神の目的について推論し、質問することもできた。しかし、彼は神が自分を導いておられると言う完全な確信を表明した。それが肥沃で楽しい土地であるか、自分が安楽に過ごすことができるかを、彼は問題にしなかった。彼は神の言われるままに出て行った。これは私たちの学ぶべき教訓である。・・・

ある人たちは人生のあらゆる面において・・・恵まれた境遇にあるかもしれない。しかし、神は彼らのために他の場所でする仕事、自分の親戚や友人の間ではできない仕事を持っておられるかもしれない。自分を取り巻く安楽な立場や親戚が、彼らが神の望んでおられる品性の特徴を養うのを妨げているかも知れない。しかし、彼らの立場を変えたり、彼らを環境の全く異なる場所に遣わしたりすることが、彼らが神の栄光を現すような品性を養う上で最高の場所になると、神はご覧になる。・・・

全てが便利で安楽なところに自分自身を置く時、私たちは一瞬一瞬を神に信頼する必要性をあまり感じなくなる。神はその摂理によって、私たちが神の助けと力の必要性を感じるような立場に私たちを導かれる。・・・

アブラハムについて、神が設計者であり建設者である都を待望していたと記されている。

・・・私たち一人一人も同じである。私たちはこの世にあって、よそ者であり、仮住まいのものに過ぎない。私たちはアブラハムの待望していた都、つまり神が設計者であり建設者である都を待ち望んでいる。

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