感謝

自己実現と神実現

昨晩、そろそろ仕事を終えて帰ろうと思っていたところに院長先生が来られた。院長先生と話すことはあまりないので何事かと一瞬身構えてしまった。内容はいつものことだった。院長先生はご自分の聖書解釈に絶対的な自信を持っている。実際、聖書の知識は相当なものでヘブル語やギリシャ語にも精通している。豊富な知識を持っていらっしゃる先生の確信しているところなので誤りはないと思うが、自分が聞くと少し違和感を覚える内容だ。所属する教団の教理に正面から反対する意見なのでこのことをあまり大々的に発言しない方が良いのではないかと思っているが、そのような心配をよそにご自分で本も出版して理解者を増やそうとしている。昨日の話はその理解者を開拓する草の根運動に関するいくつかの依頼だった。勿論仕事であれば断れないが、勤務時間中に先生の「自称伝道活動」に協力するように言われる。これが結構なストレスで自分が同意していないこと、或いは神様に反対するような活動に参加させられることが苦痛でたまらない。しかし、そのことをはっきりということができず毎日悶々とし祈り続けている。

昨晩も自分の考えた教理に賛同する人を増やしたいので私の友人、知人、かつての生徒にダイレクトメールと小冊子を送ってほしいとのことだった。流石にこれはできない、と思いお断りした。断るといっても上手に言わないと後が難しくなる。話しながら、瞬時に祈りながらとにかく言葉を教えていただきながら院長先生に自分の考えるところを話してみた。

「素晴らしい、お考えだと思いますので是非協力したいところですが、これよりも先にした方が良いことがあるように思えるのですがどうでしょうか。この医院が与えられてから23年、間も無く四半世紀を迎えるにあたって神様がどれほど守ってくださったか、導いてくださったかを本にしたらどうでしょうか。ご自分の考えを世に知らしめるよりも神様への感謝を表明することを優先した方が良いと思いますがいかがでしょうか」と恐る恐る言ってみた。少し表情が曇ったが一応納得して帰って行かれた。

院長先生はいつも自分のしたいことがまず先にあって、それを神様がどうされるかを祈り求める。でも、全くの「無」の状態から神様に聴いて神様の御心を求めることはあまりしない。恐らく「人の心に願いを起こさせ・・・」というピリピ人への手紙を受け止めて実践していらっしゃるのだと思う。自分が願ったことを全て神様が与えたビジョンであると信じているのだろう。

感謝

医院では誰からも相手にされていないが密かに25周年に向けて準備をしている。25年分の神様に対する感謝を表す記念事業をしたいと思っているのだ。決して好きな医院ではないし、明日にでもここを去りたいと思っているが一方で神様が与えてくださったお恵みを無視するのはやはりいけないことではないかと思っている。

人生でも同じことが言える。自分の願いや叶えてもらいたい祈りもあるが、それらを脇において一歩立ち止まり神様がこれまで何をしてくださったかを思い出して、心に感謝の記念碑を建てることが求められている気がしてならない。

第9章 Kaho Miyawaki【私と神様】キリストへの道「人生」

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