嬉しくないお礼

送迎で

昨日に引き続き今日も送迎の手伝いをさせてもらった。日、火、木の透析グループの方は入れ替わりが激しくて自分が送迎をしていた頃の患者さんが半分ほど入れ替わっている。以前からいらっしゃる透析患者さんで少しやりにくいタイプの方がいらっしゃる。常に文句というかクレームを言って来られる方で他の患者さんとも結構トラブルを起こす。先輩の女性ドライバーは以前に「ブレーキの踏み方が悪い」とか「車が掃除されていない」などと散々文句を言われたのでこの方の送迎NGになってしまった。自分にも結構文句を言って来られるが、実はあまり気にしていなかった。決して相性が良いわけではないが少し自分の10年後を見ている気がしてシンパシーのようなものを感じていた。今日はこの方の送迎も担当することになった。

以前とは違って

名前だけ知らされたので少し緊張したが迎えに行って驚いた。この方は大柄でいつも送迎車であるセレナに頭をぶつけながら乗り込むのだが、歩くときには杖を持って少し体を支えていた。しかし今日、自宅から出てきたときには車椅子だった。車椅子から降りていただいて車に乗るのだが、もうほとんど自分の力では立つことができない。抱きかかえるような形で何とか立ってもらいずっと体を支えながら座席に着く。以前とは全く違った。医院についてからも、降車場所から透析室までは5m程なのだが歩くことができず車椅子を使った。帰りも同様。以前は車を自宅前の道路に止めていたが今は自宅玄関の前まで送迎車を入れて降車してもらう。また抱きかかえるようにして玄関まで一緒に行きドアを開けて家族の方を呼んだ。

そして

玄関のドアを閉める前に「ありがとう、悪いね」と仰った。この方がお礼を言うのを聞いたことが無かったのでとても驚いた。同時にこれほど嬉しくない「ありがとう」をかつて経験したことがない。今まで言わなかった人が「ありがとう」と言えば嬉しいはずなのに少しも嬉しく無かった。むしろ悲しい気持ちになった。この方にはもっと元気に悪態をついてもらいたかった。「どうもありがとう」が「自分はこれほど弱ってきました」と聞こえて悲しかった。

何も分からないのに勝手なことを言ってはいけないが、やはり職場の医院はよく人が亡くなる。透析の方も本当に入れ替わりが激しい。別の病院に移るのではない。亡くなるのだ。だからうちの医院に来られている透析患者さんを見ながら心の中で「今すぐ他の病院に行ってください。近くには鷹揚郷(おうようきょう)がある。一度に200人が透析治療を受けられる。設備もスタッフもきちんとしている。そう言うところに行って命を大切にしてもらいたい。

「すべてあなたを攻めるために造られる武器は、 その目的を達しない。 すべてあなたに逆らい立って、争い訴える舌は、 あなたに説き破られる。 これが主のしもべらの受ける嗣業であり、 また彼らがわたしから受ける義である」と 主は言われる。」
イザヤ書 54:17 口語訳

【LIVE】4月23日安息日礼拝「ジャガイモから学ぶ自己犠牲の法則」

 

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