ウザ討ち
旧約聖書に出てくる「契約の箱」について、その行方が話題になることがある。都市伝説的な話だが日本にある、という人もいる。その根拠は分からないが今も人類の目には隠されている。
今日の聖書通読の場所がサムエル記下4~13章だった。イシュボシェトの死から始まり6章ではそれそれまでキリヤテエアリムのアビナダブの家にあった契約の箱が、ダビデの命によりエルサレムに運ばれることになった。この時、大きな事件が起こる。契約の箱がナコンの打ち場に来た時に牛が躓き箱が倒れそうになった。咄嗟の判断でアブナダブの子であるウザが箱を支えるように触れた。そしてその瞬間ウザは命をとられた。
行方
元々契約の箱は出エジプトしたイスラエル民族と共にあり、移動の時もレビ人のケハテ族により慎重に運ばれた。エリコに陥落の際には神の箱が大きな力となった。その後シロにとどまった。これはかなり長い時間であった。
そしてペリシテ人との戦いの際、神の箱が戦場に持ち出された。そしてペリシテとの戦いに敗れ、契約の箱は彼らの手に渡ってしまう。ペリシテの地、アシュドデから恐ろしいことに偶像であるダゴンの宮に持ち込まれた。ここでは毎日ダゴンの像が箱の前に倒れるという現象が起こった。ガテに運ばれると大恐慌と腫れ物の災いがペリシテ人にくだる。これではいけないと、ペリシテ人が契約の箱をイスラエルに返す。ベテシュメシュ、そしてキリヤテエアリムのアビナダブの家に運ばれた。ちなみにアビナダブはサウル王の子であるヨナタンの弟。サウルの子どもである。そして契約の箱に触れて命を取られたウザはアビナダブの息子。
この事件があり箱はガテ人オベデエドムの家に移された。そして最終的にダビデの命令通りエルサレムに戻ることができた。
祝福
契約の箱はその置かれる場所で祝福となったり災いとなったりした。本来祝福の源であるはずのものがその正反対の効果をもたらすことは非常に興味深く奥深い真理が隠されている気がする。ウザはケハテ族でないのに契約の箱に触れたため命を取られた。が、もう一つの考えとして、家に置かれていた「契約の箱」を毎日見ることで「見慣れ」てしまいその意味するところや価値が分からなくなっていたのかもしれない。
今日の聖書通読を通して、自分が毎日与えられている祝福に慣れ過ぎてしまいそれを当たり前のこととしか受けとめられなくなっているような気がしてきた。ウザが討たれた経験は自分にも当てはまる気がする。祝福を祝福として受け止めなければそれはいつか災いになる。そんなことを考えさせられた。
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