春の訪れ

サンセット

新年が明けてから1週間が過ぎるが、今が寒さの絶頂である。恐らくこの1ヶ月が最も寒く雪が多い時期になるのだろう。コロナの感染者数も気になり寒さも雪もコロナも全てが収束することを願うものである。しかしこんな厳しい季節ではあるが春の訪れを予感させることもある。そのひとつが日没時間、つまりサンセットの時間が少しずつではあるが確実に遅くなっていることである。12月末は午後4時を過ぎるとあたりは真っ暗になっていた。しかし、今は4時40分頃まで明るい。冬至を過ぎサンセットの時間がおそくなっているのだ。毎日うんざりするほどの雪かきに追われていてもこの事実が気持ちを前向きにしてくれる。そしてもうひとつが桜の木である。満開に咲き誇るその日のために、この極寒の今、桜は確実にその準備を整えている。風雪に耐え芽を少しずつ膨らませて行く。木々が数ヶ月後に訪れる春のために最終の準備段階に入った。本当に心が踊るような嬉しい気分になる。

聖書

話は飛ぶが、聖書には一見矛盾するようなふたつのことが書かれている。「あなたの手の成しうることは力を尽くしてなせ」など愚直に働くこと、行動することを要求する御言葉がある一方で「この戦いは主の戦いであるから、あなた方は黙しているが良い」と一心に神様に委ねることを要求する御言葉もある。この二種類の言葉の狭間で、どうしたら良いのか分からなくなることがある。今日、礼拝で与えられた聖書の御言葉も後者のタイプだった。

「わが民よ、聞け、わたしはあなたに勧告する。 イスラエルよ、あなたがわたしに聞き従うことを望む。 あなたのうちに他の神があってはならない。 あなたは外国の神を拝んではならない。 わたしはエジプトの国から、 あなたをつれ出したあなたの神、主である。 あなたの口を広くあけよ、わたしはそれを満たそう。」
詩篇 81:8-10 口語訳

祝福が与えられるので口を大きく開けて待っていることをすすめられている。棚からぼたもち状態である。真の信仰者はこういう生活ができるのだと思う。しかし自分にはその信仰がないので、「主よ信じます」と祈っておきながら、一方で自分勝手な方法で結果を得られるよう努力する。真剣に神様を信じ、自分の判断や自分勝手な方法ではなく神様のご計画に従いそのことが実現するよう自分自身を計画に合わせていく努力が必要なのだろう。

もう一度、神様に対して絶対的な信頼をもって口をあけて待つ信仰を持ちたい。自分が神様を絶対的に信頼する時に、自然界が春に向かって進むように何かが変化して行く気がする。

2022年1月8日 「わたしにつながっていなさい」 安息日礼拝LIVE配信

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