夏の終わり

神様のお守り

長男が広島の寮から戻ってきてから間も無く1ヶ月になる。沖縄の夏はまだまだ続くが夏休みの終わりが近いことを感じている。

久しぶりにこの夏は色々なことをしてみた。まずは東京で行われた同窓会の参加。あまり気乗りしなかったが結局参加して本当に良かったと思っている。久しぶりに会う友人の近況を知り祈りの課題が増え、また共通の認識を持って伝道するビジョンも与えられた。心から神様を求める同級生にも会うことができ本当に嬉しかった。比較的規則の厳しい全寮生のミッションスクールだったが卒業後は教会から足が遠のくと言われていた。どこからの情報か、勝手に「教会定着率2割」などと言われたがそんなことはない。今回集まった仲間は卒業生のおよそ半分。しかしその7割以上は教会に通い信仰生活を送っている。そんな仲間の姿にも大いに励まされた。何より往復の飛行機が台風の影響で欠航の可能性があったのだがそのどちらも飛んだ。数々の危うい場面もあったがその全てに神様のお守りがあったことを痛感する夏休みだった。

思い出

数年ぶりに家族で過ごした夏休みだったので思い出もたくさんある。命の危険を感じる台風を自宅でしのいだこと、瀬長島で花火をしたこと、買い物に行ったり自宅でトランプをして遊んだこと。みんなでウォーキングや運動をしたこと。別荘を借りてそこで生活したり、近くのリゾートホテルで遊んだこと。バッティングセンターで勝負したこと。長男とはオープンキャンパスに行ったり実家でも一緒に生活しおじいちゃんにも喜んでもらえた。経済的には極めて厳しい状況だが何よりも家族で楽しく過ごすことを優先した。

別荘生活を終えて帰って来る途中で久しぶりに北谷にも寄って散々遊んだ。自宅に戻ってから次男が「こんなに楽しいことを計画してくれてありがとう」とベッドに入りながら言ってくれた。涙が出た。「そうだ、今回の旅行が楽しかったかお兄ちゃんにも聞いてくる」と言ってベッドから出て兄にきいていた。「お兄ちゃんも楽しかったって。良かった」。もう号泣するしかない。

何年も一人で暮らしてきたからこんなことが嬉しくてたまらない。あの時、人生を諦めないで良かった、とも思い心から神様に感謝した。

夏の終わり

一人で生活しているときは夏休みは道やお店が混んだり通常ではないことがあるので早く夏休みが終わらないかと思っていた。が、今年は違う。久しぶりに夏休み、夏の終わりの寂しさを感じている。間も無く長男は広島の学校に戻ってしまう。長男が戻れないように今こそ台風がくれば良いのに、と自分勝手なことを考えてしまう。次男は夜ベッドに入ると泣いている。「泣いているのか?」と小声で尋ねると「お兄ちゃんがもうすぐいなくなるから寂しい」といって布団に顔をおしつけて泣いている。「大丈夫、またお兄ちゃんはすぐに帰ってくるから」と言いながら自分も泣いている。

今回、長男がとても大きな人間になっていることを痛感した。勉強に興じる毎日ではあるが弟を大切にし何よりもずっと穏やかで細かい気配りをしながら生活していた。決して自分を主張せず、物を欲しがることもしない。父親の聖書に関する話をいつも真剣に聴き自らも聖書をよく読んでいた。このダメ親からよくこんな子が育ったと思う。やはり育ててくださったのは神様であることを再認識させられる。

日に日に戦闘機の音が激しくなっている沖縄だが、子どもたちが平和を享受できることを祈るばかりである。

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