聖書

訳の違い

聖書通読をしながら毎日ノートをつけているが、日々新しい発見がある。今日はエズラ記の8章からネヘミヤ記7章までを読んだ。エズラとネヘミヤを分けずに読むとエルサレムの城壁修理やそれに伴う人間模様などがより立体的に浮かび上がってきて面白い。エズラ記の後半が「エズラの祈り」が献げられているのに対してネヘミヤ記が「ネヘミヤの祈り」から始まっている。違う場面で祈っている二人だが、同じようにイスラエルの民の不従順を詫び神様に執りなす祈りが献げられている。こういう人の祈りが国を護り国を動かしていることを痛感した。

多くの感動をもって読ませていただいた今日の通読箇所であったがノートをつけているうちにあることに気づいた。口語訳ではネヘミヤ記3章が32節で終わっているのに対して、新共同訳は38節まである。新共同訳の3章33節以降は口語訳の4章に載っている。詩篇の節がずれていることは知っているが数節が次の章に移っていることは認識していなかった。他にも異なる点があるのかと思い調べてみたが、例えば福音書に出てくるぶどう園に働きに行く兄弟のたとえ話では弟と兄のとっている立場が全く逆転していることを知った。新といってもかなり古くなってしまったが、新共同訳聖書はあまり馴染みがない聖書だが今回通読してみて色々な発見をすることができた。

別の話

昨日、ふたりの友人と電話で話した。偶然重なってしまったのだがそれぞれの近況を伺った。ひとりの友人は40歳にして一念発起しこの度長年勤めた職場を辞めることになった。彼とは今後、教育関係の仕事を立ち上げられないかと祈りながら考えているところであるがとりあえず「相手を知る」という意味で塾講師などの仕事に就く予定にしている。非常に条件の良い会社があり双方に気に入ったのだが、「安息日(土曜日)をコンスタントに休みたい」という希望を出したところで、不採用になってしまった。採用確実と言われていただけに、自分も大きなショックを受けたが本人Mさんが最も大切なことを第一にしたい、という気持ちを表明できたことは素晴らしいことだと思った。留学経験があり語学(英語)堪能で、英語の教員として塾講師を探していたMさん。彼はシニアマスターズで活躍するアスリートでもある。100m、10:68の自己ベスト記録を持つ。現在小学校の事務をしているが、小学生に無料で短距離の走法を指導してきた。リレーのチームを作りキャプテンとして活躍しているため広島市を離れることはできないが、更に良い職場が与えられることを祈り続けていきたい。そして自分も、いつまでもこの仕事を続けるわけにいかないのでMさんを模範として先のことを考えないといけない。

全ての局面に於いて神様を頼り、「生ける御言葉」にしたがって歩んでいきたい。

神の導きの手を求めて手を差し伸べている全ての者にとって、最も落胆してしているときしている時が、神の助けが一番近いとき時である。
各時代の希望 2巻 p343

【こころ食堂礼拝】「主にある忍耐」

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