再臨の望み

月蝕

今日は部分月食。部分と言っても98%が欠けるのだからほぼ皆既月蝕である。夕方、月を眺めていたがなるほど確かに欠けて行く様子がはっきりと分かった。天体の動きは非常に神秘的で、また法則に従って現在も寸分の狂いもなく運行している。

以前働いていた広島で、仕事帰りが日付を超えることはザラだった。というか殆ど毎日0時を回ってから家に帰っていた。家と学校が徒歩でも5分以内ということもありついつい夜中まで仕事をしてしまっていたが、この時期は東の空からオリオン座が上ってきて綺麗な姿を見せてくれる。オリオン座には特別な思い入れがある。東の空から雲に乗ってご再臨されるイエスさまはオリオン座の中空を通過してくると言う。だから毎晩仕事帰りにオリオン座を見て「今晩は来てくださるかな?」などと再臨に思いを馳せていた。

父との会話

今日、食卓で両親と色々な話をしていた時のこと。色々な話と言っても認知症の進んだ母も会話に参加するので同じ話を何度も繰り返すだけなのだが、その中で父がいくつかの質問をして来た。2年ほど前まで父は原宿にある教会まで電車に1時間半程乗って通っていた。が、母が教会に行く途中で倒れたり危険なことが何度かあったので現在は自宅でオンライン礼拝をしている。父は教会に行きたくて仕方ないのだ。礼拝ができることはありがたい。しかし教会員との交わりを好んでいたので教会に行って人と話したくて仕方ないのだ。そんな父がして来た質問。

父「最近、教会ではどう言う礼拝メッセージが多い?再臨の話は良くされるのか?」

私「再臨の話もあるし、日常生活でどのように清くなれるか、所謂『聖化』に関するメッセージも多いよ」

父「再臨は近いかな?」

私「思っている以上に近いと思うよ」

父「そうか。そうだといいな。お父さんは毎日今日が再臨の日でありますように、と祈っているんだけどなかなかそうならないんだよな」

当然といえば当然なのだが、父は心の底から再臨を待望している。以前は教会の長老として牧師を支え講演会やバザーなどの行事を支え、安息日の午後ともなれば表参道から一本入った一般の民家を戸毎に訪問しキリスト教のパンフレットを配ったり、興味のありそうな人には聖書の話をしたり教会に誘ったりしていた。しかし今は動くこともままならず教会にも行けなくなってしまったのでただただ再臨が早くくることを祈ることしかできない。それしかできないけれど再臨を待望している。それは母も同じである。

今回の帰省で両親の助けになるような働きはできなかったが、両親の信仰の一面を見ることができ安心したし励まされた。

すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。 だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。」
テサロニケ人への第一の手紙 4:16-18 口語訳

聖書研究ガイド21年4期8課 1080p

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