最後の日

ミッション終了

今日で10月も終わり。そして自分の仕事も明日からセクションが変わる。今まで患者さんの送迎を主にしていたが明日からは用度の担当になる。

セクションが変わることで今の送迎は人員が減ってしまうのでかなり苦しい状況になってしまう。本当に申し訳ないと思っている。セクション変更の理由は大きくふたつあった。ひとつは雪道の運転ができないこと。今までも結構雪が降るところで生活していたが、基本的に雪が降れば車には殆ど乗らなかった。また日中に下の街に行けば雪はほとんどない状態。だから雪が降るところではあるが雪道に慣れるほど運転していなかった。雪深い津軽で、しかも患者さんを乗せて定時に送迎をする事は今の自分には難しいので事故を起こす前にセクション変更を願い出た。もうひとつの理由は人間関係。職場の方々とは円満な人間関係を築きながら仕事をしているが、何故か同じ送迎部門に自分のことを嫌っている人がいてその人からの執拗な嫌がらせや頻繁ではないが暴力行為に耐えられなくなってしまった。この人は、送迎の仕事を私に取られると思っているらしく70歳を超えている人だが子どものような嫌がらせをしてくる。また患者さんを乗せて送ろうとすると車を叩いたり、時には車をぶつけようとする。考えられない事をする。ずっと耐えていたし、人事課的な人にも相談してみた。が、その人の返答は「あの人は色々と問題があるけど、土曜日などは無給で送迎してくれる」ので医院としても重宝しているので忍耐して欲しい、とのことだった。そもそもこの職場が一般の常識が通用しないところなのであまり驚かなかったが呆れてしまった。暴力も基本も容認するという。

ならばセクションを変えて欲しいと訴えかなりの時間を要したがやっと明日から新しいセクションに変わることになった。新しいと言っても、今まで用度課がないような医院だったので、また無駄な仕事をさせられるのではないかと覚悟している。少し前まで送迎の合間を縫って一生懸命「手書きのカルテ」をスキャンする仕事をしていた。かなり能率の悪い仕事である。このペースでは全部終わるのに10年はかかるだろうと思っていた。そもそもこの医院は、その人事課的な人が結構力を持っていて、その人が思いついたことを従業員に振り分けるスタイルをとっている。どこかの会議で決定したことではなく全くの思いつきをやらされるのである。結局、そのカルテのスキャンは500人分ぐらいが終わったところで、スキャンをせずに全て廃棄処分することになった。このようなことが当たり前な職場なので、明日からの仕事も3ヶ月後には全て無駄になっている可能性もある。資格も能力もないのだから、何か仕事を当てがおうと周りも気を使ってくれているのだろう。申し訳ないという気持ちも大いにある。

思い出

今後も送迎の仕事をピンチヒッターで頼まれることがあるようだが、とりあえずこれでひと段落。自分に嫌がらせをする人以外は本当に良い人ばかりだったのでセクションを変わるのは少し寂しい。また患者さんも本当に良い人ばかりで大変お世話になった。毎回コーヒーをくださる方、送迎車が家の前を過ぎるまでずっと家に入らず頭を下げて感謝をされる方、いつも冗談ばかり言って車の中で笑わせてくださる方、最後まで何を言っているのか分からなかったけど丁寧に挨拶をしてくださる92歳のおじいちゃん、格言のような言葉を毎回教えてくださる方、津軽の良さを色々と教えてくださるおばあちゃん等々。思い出したらキリがない。後部座席から首を絞められたこともあった。でもこのおばあさんはこの夏熱中症で亡くなられた。何度も道に迷い途方にくれたこと、休憩時間は常に道を覚えるために走り続けた頃が懐かしい。

いつか

なかなか慣れない青森の土地だけど、いつか慣れるときがくるのだろうか。あるいはいつかこの地を離れる時が来るのだろうか。自分には良く分からないが、神様が一番良い事をしてくださるのでそれに従うだけだ。

「天が下のすべての事には季節があり、 すべてのわざには時がある。 生るるに時があり、死ぬるに時があり、 植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、 殺すに時があり、いやすに時があり、 こわすに時があり、建てるに時があり、 泣くに時があり、笑うに時があり、 悲しむに時があり、踊るに時があり、 石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、 抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、 捜すに時があり、失うに時があり、 保つに時があり、捨てるに時があり、 裂くに時があり、縫うに時があり、 黙るに時があり、語るに時があり、 愛するに時があり、憎むに時があり、 戦うに時があり、和らぐに時がある。 働く者はその労することにより、なんの益を得るか。 わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。 神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」

伝道の書 3:1-11 口語訳

2021年10月30日 「神の最後の訴えを伝えるために」 安息日礼拝LIVE配信

(メッセージは9:45から)

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