子どもの祝福
車を運転している時に突然電話がなった。車を止めて電話に出るとかつての同僚であった。何かにつけて近況報告をしてくれる律儀な友人である。何かがあったのかな?と少し心配になった。実は彼は1年前にも電話をくれた。近況報告ということで電話をくれたのだが、しばらく前即ち2020年2月に双子の赤ちゃんを死産で失ったことを教えてくれた。電話を受けたのが散歩中で外にいたが涙が止まらなくなってしまった。悲しすぎる現実をこの夫婦は受け止めてきたのだと思ったら余計に辛かった。原因はわからないが、学校の仕事で奥様が寒い中重い荷物を運ぶ作業を長時間させられていたという。本人たちは恐らくそれが原因だったのではないかと考えていた。何が原因であっても死産は辛い。双子ちゃんの葬儀もこの夫妻だけで執り行ったそうだ。自分も子どものことではずっと苦労してきたから、子どもが与えられることも不思議だし五体満足で健康に生まれるなど普通のことでは決してないことを理解している。本当に辛い日々を送ってきたのだと思う。「やっと最近心の整理がついてきたので報告の電話をしました」と言っていたのでお子さんを失ってから半年以上経ってからの報告である。その日から、彼らご夫妻に必ず神様の時が来て元気な赤ちゃんが与えられることを毎日祈り続けた。
そして今日の電話は3日前に無事に女の子が生まれたという報告だった。本当に嬉しかった。自分のことのように嬉しかった。赤ちゃんが与えられたこと、また神様が多くの方の祈りに応えてくださったことが嬉しかった。信仰が萎えそうになっていた時だったのでとても励まされた。引き続き祈り続けることを約束し電話を切った。
そういえば今朝与えられた聖句を思い出した。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
マタイによる福音書7:8
安息日
今日も自然界の中で祈りサンセットを迎える前に帰ってきた。今週も全てが終わり創造の記念であり、贖いの記念である安息日を無事に迎えることができた。安息日を無事に迎えられることは決して当然のことではない。アフガニスタンの自爆テロのことも聞いているが多くの地域で争いが続き弱い立場の方々が犠牲になっている。自称メンタリストのYouTubeでの発言が炎上し本人も謝罪のコメントをしているがなかなか収まる気配が無い。しかしこのメンタリストを叩く意見がネット上に溢れているが、発言している人のどれぐらいが本気で弱者のことを考えているのだろうか。ホームレスや生活保護受給者に対して日頃から何かの助けをしているのだろうか。もしかしたら「あのような人にならないように」と自分を戒め子どもを教育しているのでは無いだろうか。しかし、一旦誰かが不用意な発言をすると烈火のごとく怒り出して発言する。それが正義だと思っているのだろう。そのような偽りに満ちた社会で平安に安息日を迎えるということがどういうことなのかを深く考えさせられた。
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