2年
津軽生活、僅か2年。今まで短期間で引っ越した場所がいくつかある。茨城県の中学校にいたのはたったの1年。沖縄の中学校に2年。広島市内に1年、そしてここ津軽も2年。大学を卒業してから、この6年以外はすべて広島の山奥で生活していた。通算で34年間を過ごしていたことになるが、しかし人生を振り返ったときに感じるのは「短期間生活していた場所でイエス様に出会っている」ということである。真剣に祈り、イエス様だけを求める生活をしたのが茨城県の北浦であり沖縄県の名護市であった。また広島市内の宇品ではどん底とそこから引き上げてくださるイエス様に向き合った。今回の津軽は壮絶な時期を過ごしていたがイエス様が毎日祈りに経験を得ていた。今も神様の言葉が生きていること、聖書の言葉は読むものではなく用いるものであることを体験として学べたのが2年間の津軽生活である。明日、ひとまずここを出る。1週間ほど東京で母の納骨や父を実家でひきとるなどの用事を済ませ、その後沖縄に行く。荷物の一部と車を津軽に置いていくので近い将来またここに来ることになる。どのような形で再度津軽の地を踏むようになるかは分からないが、今まで通り神様がすべての計画を準備しておられるのでそれに従いたいと思う。
通い慣れた道
雪が降ると極力運転を控えるようにしていた。朝の通勤は基本的に徒歩。1kmもない職場までの道は祈りの余韻を味わうように神様との対話にちょうど良い時間であり空間であった。前後から来る車に注意しながら心配と不安を神様に述べる。踏切を渡ってしばらく行くと川部駅。そこを右に曲がると駅前のメインストリート。メインストリートと言っても居酒屋さんと食堂があるくらいだ。しかし進んでいくと徐々に雄大な姿を表す岩木山が正面に見える。
「お前は何について悩み、くよくよしているのか。この山は誰がつくったのか?」
岩木山を見るたびに神様からの叱咤激励をいただいていた。岩木山を通して存在を示してくださった神様は、沖縄ではどのような方法でそのご存在を示してくださるのだろう。通い慣れた道が懐かしくてたまらなくなった。
1860年に、出版事業の組織と共に、名称が選ばれた。「神の教会」 が適当だという人々もあったが、教会の独特の教えを反映した名称がよ いという意見が圧倒的であった。彼らは、「セブンスデー・アドベンチス ト」という名称を採用した。その翌年に、いくつかの信徒の団体が教会 に組織されて、ミシガン州の諸教会が、州年会を組織した。間もなくい くつかの州年会ができた。そして、1863年5月に、セブンスデー・ アドベンチスト世界総会が組織された。これは、『初代文集』の時代から は5年後のことである。
初代文集電子版p28
宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓