理想の教育
もう15年以上前のことである。自分が務めていた学校は教会立であるがその教会の牧師と教員に配られる小冊子「牧羊(ぼくよう)」というものがある。その牧羊に原稿を書くように言われた。読むのは学識ある牧師先生や教員たちなので物怖じして一度は断ったのだがそれでもと言われ不承不承引き受けた。当時自分は教頭にもなっていなかったので、現場の一教員にすぎなかった。その立場で教育について投稿するのはあまりにもおこがましいと思ったのだが、「恥は我がもの、栄えは主のもの」の精神で無い知恵を絞って文章を書いた。
書いた内容な自分が理想とする教育環境、理想の学校についてであった。それは通称「預言者の学校」と言われるものである。聖書には「預言者の学校」という言葉は使われていないがサムエル記や列王記を読んでいると、明らかにこれは全寮制の学校であることが分かる。
現在リビングバイブルを用いて聖書通読をしているのだが、今日読んだところには何度も「預言者学校」という言葉が記されていた。とても懐かしい響きであり、自分が果たせなかった夢を思い出す。教員でいられたら、もしも神様がもう一度教育伝道者に召して下さるのであれば、などと「たら、れば」の想像ばかりしてしまう。懐かしい教育現場。
預言者の学校
エレンホワイトという人が書いた書物にこの預言者の学校についていくつも触れられているがその一部を紹介したい。
さらに、青年教育の施設として、預言者の学校が建てられた。もし、青年が、 神の言葉の真理をもっと深くさぐり、上からの知恵を求めて、イスラエルの教師 になろうと望むならば、彼らは、こうした学校に入ることができた。預言者の学 校は、腐敗が広がるのを防ぐ防壁としてサムエルが創立したもので、青年の道徳 的、霊的幸福に貢献し、指導者や助言者として、神をおそれて行動する資格のあ る人物を養成して、国家の将来の繁栄に資するためであった。サムエルは、この 目的を達成するために、神をおそれ、知的で勤勉な青年を多く集めた。彼らは預 言者の子と呼ばれた。彼らが神と交わり神の言葉と神のみわざを学んだ時に、彼 らの生来の賜物に天の知恵が加えられた。教師は、神の真理に良く通じているばかりでなくて、自分たち自身が神との交 わりを経験し、神の霊の特別な賜物を受けた人々であった。彼らは、学識と信仰 の両面において、人々の尊敬と信頼をかち得ていた。
こういう学校は、サムエルの時代に2つあって、1つは、預言者の故郷のラマ にあり、もう1つは、そのとき箱が置かれていたキリアテ・ヤリムにあった。そ の後、ほかにも学校が設立された。
学校の生徒は、土を耕すとか、あるいは何かの筋肉労働に従事して、自分で働いて 自活した。イスラエルにおいてこれは不思議でも卑しいことでもなかった。実際、 子供に有用な仕事を教えないで育てることは、罪悪であると思われていた。どの ような高い地位につくための教育を受ける子供であっても例外なく、すべての子供に、 何かの職業を教えることが、神の命令であった。宗教の教師のなかには、肉体労 働によって自給した者が多くあった。使徒時代に及んでも、パウロとアクラは、 天幕作りを職業として生計を立てたが、そのために卑しめられることはなかった。
学校の主要科目は、神の律法とモーセに与えられた教訓、神の民の歴史、聖楽、 詩歌などであった。その教授法は、現代の神学校の教授法とは非常に異なってい た。今日、多くの学生は、入学した時よりも、神と宗教的真理に関して真の知識 をもたずに神学校を卒業する。昔の預言者の学校では、神のみこころと神に対す る人間の義務を学ぶことが、すべての研究の大目的であった。神の民の歴史の記 録の中に、主の足跡をたどることができる。偉大な真理が型によって明らかに示 され、その全制度の中心目的が、世の罪を取り除く神の小羊であることを、彼ら は信仰によって悟ったのである。
人類のあけぼの電子版 p520,521
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