しるしと奇跡

ヨナのしるしと奇跡

「この場面で神様の力、奇跡なるものを見せてくださればこの人はイエス様を認めることができるのに・・・」と思うことがある。それは自分自身についてもそうである。神様の御力を見させてくだされば自分の信仰の励みになる、と思うことがある。実際そのような奇跡を見させてくださることも多々ある。自分の人生を振り返ってもそのような経験を何度もしている。なので目に見える形での奇跡を信じているが神様は多くの場合、それとは違った方法で道をひらかれるような気がする。聖書には、この時代に与えられるしるしはヨナのしるしだけであると言っている。ヨナのしるし。預言者ヨナは異邦の地に行くようにと召されるが、改心の見込みがなくまたその地に対する特別な思い入れもないことから「ニネベ」行きの召しを拒絶する。どうでも、どこでも良いという気持ちで乗った船が「タルシシ」行き。航海の途中で大嵐に遭い沈没しかける。ヨナは自分が神様に反逆したせいだとすぐに分かり、戸惑う船員に命じて自分を荒れた海に投げ込ませる。その後海は穏やかになり船は難を逃れるもヨナは大魚に飲まれて3日3晩その腹のなかで過ごす。そして3日後に大魚より出て命拾いする。反逆の罪を悔い改めたヨナは当初の命令通りニネベに行き、その地で行われている不品行と偶像礼拝を譴責し悔い改めに導く。話はまだ続くが、ヨナの奇跡はヨナ自身の変化にある。また大魚に飲まれた3日間はイエスキリストの十字架の経験と解釈する人もいる。何れにしても人の心が変えられ、生きる方向性が全く変わることが奇跡でありしるしである。

今朝、ある本を読んでいるときにこのことについて教えられた。

書物より

キリストの宗教は誠実そのものである。神の栄えをあらわそうとする 熱心さは、聖霊によってうえつけられる動機であって、この動機をうえつけることができるのはみたまの効果的な働きだけである。利己心と偽善とを追放できるのは神の力だけである。この変化こそキリストが働いておられるしるしである。われわれの受け入れる信仰によって、利己心と見せかけとが滅ぼされる時、またこの信仰によってわれわれ自身の栄えではなく神の栄えを求めるようになる時、 われわれはその信仰が正しいものであることがわかる。「父よ、み名があがめられますように」というのが、キリストのご生涯の基調であったが、 われわれがキリストに従うとき、それはまたわれわれの一生の基調となるのである(ヨハネ 12:28)。主はわれわれに「彼が歩かれたように」 歩くように命じておられる「。もし、わたしたちが彼の戒めを守るならば、 それによって彼を知っていることを悟るのである」(Iヨハネ 2:6、3)。
各時代の希望電子版 p424,425  真のしるし

2022年6月18日 「あなたはどこにいるのか」 安息日礼拝LIVE配信

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