神様の時

祈り

神様が人生で何かをしてくださる場合、神様の「時」と自分の考える「時」が違い、それについて悩むことがある。聖書の中にもその様なことが記されている。子どもが与えられると言われたがその様な年齢でもなく子どもなどできるはずも無いと、女奴隷に子どもを産ませたりした。人間の計算ではこのタイミングがベスト、だと思っても神様のタイミングは違っていて多くの場合そのタイミングが遅れることが多い。そしてその時間差のために悩み、時には神様を見失ってしまうこともある。また、「これは幾ら神様でも無理だろう」と神様のなさることを人間の手で手助けしないといけないと感じてしまうこともある。神様の御力を過小評価して人間的な判断がそれを超えてしまうこともある。

礼拝説教

安息日の礼拝が終わって家に戻り、直ぐに他の教会の礼拝メッセージを視聴した。いつも数カ所の教会を覗かせてもらっているが非常に感銘を受けた、というか全てに共感して「アーメン」と言いながら視聴させていただいた礼拝メッセージがある。

人間の思いをはるかに超えたところで、人間の最善のみを考えて働かれる神様の御手に全てを委ねて神様の時を待つことの大切さを教えてくれるメッセージであった。神様の領域にまで踏み込んで何かをしようとする自分を戒めるメッセージにも聞こえて改めて神様に信頼する生き方の大切さを教えていただいた。

「『主に信頼』せよ。私たちは毎日、重荷や思い煩い、悩みに直面する。それらに直面するとき、私たちはすぐに困難や試練を口にする。・・・・
ある人はつねに恐れと悩みの中にある。彼らは毎日、神の愛の印に囲まれており、毎日、、豊かな神の摂理を享受している。それなのに、彼らはこれらの現在の祝福を見逃している。」
エレン・ホワイト

2021年6月12日 「エサウとヤコブの選択」 礼拝LIVE配信  メッセージは22:50から

 

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