ヤコブの悩みの時3

はじめに

今日も同様に書物から引用したい。

準備するのは今

「かつてなかったほどの悩みの時」が、まもなくわれわれの前に展開する。それだからわれわれには、1つの経験―今われわれが持っておらず、また多くの者が怠けて持とうとしない経験―が必要なのである。現実の困難というものは、予想したほどではないということがしばしばある。しかし、われわれの前にある危機の場合は、そうではない。どんなに生々しく描写しても、この試練の激しさには、とうてい及ばない。この試練の時に、人間は、みな、自分で神の前に立たなければならない。「主なる神は言われる、わたしは生きている、たといノア、ダニエル、ヨブがそこにいても、彼らはそのむすこ娘を救うことができない。ただその義によって自分の命を救いうるのみである」(エゼキエル 1 4 :2 0 )。今、われわれの大祭司がわれわれのために贖いをしておられる間に、われわれは、キリストにあって完全になることを求めなければならない。救い主は、その思いにおいてさえ、誘惑の力に屈服されなかった。サタンは、人々の心の中に、なんらかの足場を見つける。心の中に罪の欲望があると、サタンはそれを用いて誘惑の力を表わす。しかし、キリストはご自身について、「この世の君が来る・・・・。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない」と宣言された(ヨハネ 14:30 )。サタンは、神の子の中に、彼に勝利を得させるなんのすきも見つけることができなかった。神のみ子は、天父の戒めを守られた。そして、サタンが自分に有利に活用することのできる罪が、彼の中にはなかった。これが、悩みの時を耐えぬく人々のうちになければならない状態なのである。われわれが、キリストの贖罪の血を信じることによって、罪を捨て去らなければならないのは、現世においてである。われわれの尊い救い主は、われわれが彼と結合して、われわれの弱さを彼の力に、われわれの無知を彼の知恵に、われわれの無価値さを彼の功績に結びつけるよう招いておられる。神の摂理は、われわれがイエスの柔和と謙遜を学ぶ学校である。主はわれわれの前に、われわれが選ぶ安易で楽しく思われる道ではなくて、人生の真の目的を、常に置かれる。われわれの品性を天の型に形造るために神が用いられる手段に、われわれは協力しなければならない。このことを怠ったり、遅らせたりする者は、必ず魂を最も恐ろしい危険にさらすことになるのである。

最後を飾る大欺瞞

使徒ヨハネは幻の中で、大きな声が天でこう叫ぶのを聞いた。「地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」(黙示録 12: 1 2 )。天の声にこう叫ばせる光景は、実に恐ろしいものである。サタンの怒りは、彼の時が短くなるにつれて増し加わり、欺瞞と破壊の働きは、悩みの時に最高潮に達する。まもなく、超自然的な恐ろしい光景が、奇跡を働く悪鬼たちの力のしるしとして天に現れるであろう。悪霊たちは地の王たちのところと全世界とに出て行って、彼らを欺瞞の中に閉じ込め、天の統治に対するサタンの最後の闘争に加わるようにかり立てる。これらの手先によって、為政者も国民も一様に欺かれる。自分はキリストであると称する者たちが現れ、世の贖い主のものである称号と礼拝とを要求する。彼らは不思議ないやしの奇跡を行い、聖書のあかしとは相反する啓示を天から受けたと公言する。欺瞞の一大ドラマの最後を飾る一幕として、サタンはキリストを装うであろう。教会は、救い主の来臨を教会の望みの完成として期待していると長い間公言してきた。今や大欺瞞者は、キリストがおいでになったように見せかける。地上のあちらこちらで、サタンは、黙示録の中でヨハネが述べている神のみ子についての描写に似た、まばゆく輝く威厳ある者として人々の中に現われる(黙示録 1:13―15 参照)。彼をとりまいている栄光は、これまで人間の目が見たどんなものも及ばない「キリストがこられた、キリストがこられた」という勝利の叫びが、空中に鳴り響く。人々が彼をあがめてその前にひれ伏すと、彼は両手をあげて、キリストが地上におられた時に弟子たちを祝福されたように、彼らに祝福を宣言する。彼の声は柔らかく穏やかで、しかも美しい調べに満ちている。やさしい同情のこもった調子で、彼は、救い主が語られたのと同じ祝福に満ちた天の真理を幾つか述べる。彼は人々の中の病人をいやし、それから、キリストらしくみせかけながら、安息日を日曜日に変えたことを主張し、すべての人に対して、自分が祝福した日を聖とするようにと命じる。彼は、あくまでも第7日をきよく守り続ける者は、光と真理とをもって彼らに遣わされたわたしの天使たちの言うことを聞かないで、わたしの名を冒涜している者だと宣言する。これは強力な、ほとんど圧倒的な惑わしである。魔術師シモンに欺かれたサマリヤ人のように、多くの人々は、小さい者から大きい者にいたるまで、これらの魔術に心を奪われて、この人こそは「『大能』と呼ばれる神の力」であると言う(使徒行伝 8:10 )。しかし、神の民は欺かれない。このにせキリストの教えは聖書と一致していない。彼の祝福は、獣とその像を拝む者、すなわち、神のまじりけのない怒りがその上に注がれると聖書が断言しているその人々に対して、宣言されているからである。さらに、サタンにはキリストの来臨のありさまをまねることは許されない。救い主はこの点についての惑わしに対してご自分の民に警告し、再臨のありさまをはっきりと予告された。「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。・・・・だから、人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行くな。また『見よ、へやの中にいる』と言っても、信じるな。ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう」(マタイ 24:24―27、31、25:31、黙示録 1:7、Ⅰテサロニケ 4:16、17参照)。この来臨はまねることが不可能である。それは世界じゅうに知られ、全世界の人々が目撃するのである。

危機迫る

聖書を熱心に研究し、真理の愛を受けたものだけが、世界をとりこにする強力な惑わしから守られる。聖書のあかしによって、これらの者は欺瞞者サタンの変装を見破る。すべての人に試みの時がやってくる。試みのふるいによって、ほんもののキリスト者が明らかにされる。神の民は、自分の感覚的証拠に屈しないほど、今神のみ言葉に固く立っているだろうか。こうした危機においても、彼らは聖書に、しかも聖書だけにすがりつくだろうか。サタンは、できることなら、彼らがその日に立つ備えをするのを妨げようとする。サタンは彼らの道をふさぎ、この世の宝で彼らを迷わせ、重くて疲れさせる荷を負わせて、その心をこの世の煩いでいっぱいに満たし、試みの日が盗人のように彼らを襲うようにと、事を運ぶであろう。キリスト教国のさまざまな為政者たちが、戒めを守る者たちを抑圧するために出した法令によって、政府の保護が取り除かれ、彼らが彼らの滅亡を願う者たちの手にまかされると、神の民は都市や村から逃れ、群れを作って最も荒れ果てた寂しい場所に住む。多くの者は山のとりでに避難所を見つける。ピエモンテの谷間のキリスト者たちのように、彼らは地の高い所を隠れ家とし、岩のとりでを神に感謝する(イザヤ 33:16参照)。しかし、あらゆる国のあらゆる階級の人々が、身分の高い者も低い者も、富んだ者も貧しい者も、黒人も白人も、大勢の者が最も不当で残酷なとらわれの身に突き落とされる。神に愛されている者たちが、疲れきった日々を送り、鎖につながれ、牢獄の格子の中に閉じ込められ、死刑の宣告を受ける。ある者は暗くいまわしい土牢の中で、餓死するままに放置されているように見える。彼らのうめきを聞く人間の耳はなく、彼らを助けようとする人間の手はない。この試みの時に、主はご自分の民をお忘れになるだろうか。主は、洪水前の世界に刑罰がくだった時、忠実なノアをお忘れになっただろうか。平地の町を焼き尽くすために火が天からくだった時、ロトをお忘れになっただろうか。エジプトで偶像礼拝者たちに囲まれていたヨセフをお忘れになっただろうか。イゼベルがエリヤをバアルの預言者と同じ運命にすると誓って彼を脅かした時、主はエリヤをお忘れになっただろうか。牢獄の暗く陰うつな穴にあったエレミヤをお忘れになっただろうか。火の炉の中の3人の人物を、あるいはライオンの穴の中のダニエルを、お忘れになっただろうか。「シオンは言った、『主はわたしを捨て、主はわたしを忘れられた』と。『女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない。見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ。・・・・』」(イザヤ 49:14―16 )。万軍の主は言われた、「あなたがたにさわる者は、彼の目の玉にさわるのである」(ゼカリヤ 2:8 )。敵が彼らを牢獄に投げ入れても、土牢の壁は彼らの魂とキリストとの交わりを断ち切ることはできない。彼らのあらゆる弱さを見、あらゆる試みを知っておられるお方は、地上のすべての権力にまさっておられる。そして天使は寂しい独房に彼らを訪れ、天よりの光と平安を伝える。牢獄は宮殿のようになる。それは信仰に富む者がそこに住んでいて、パウロとシラスがピリピの獄屋の中で真夜中に祈りをささげ賛美の歌声をあげた時のように、陰うつな壁が天の光で照らされるからである。
各時代の大争闘 「大いなる悩みの時」より引用

人間関係の縮図だった最後の晩餐 | イエスの最後の四日間から学ぶ人間関係①

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