願いが叶う時

20年以上前だったと記憶しているが不思議な経験をした。その時は沖縄の中学校で働いていた。担任をしながら教務課の仕事をしていた。教務課長と言われていたがスタッフは自分ひとりなので次長も課長もない。しかも沖縄に赴任する前に先輩の先生が私のことを「コンピュータのスペシャリストだから何でもできる」とデマを沖縄の中学校に流したらしい。そんなことは全く無い。確かにMacをずっと使ってはきたがwindowsというものを触った経験がない。そんな自分に前評判だけがひとり歩きしてしまい期待されることが大きかった。今なら何でもない事であるが学校のホームページを開設したいとのこと。それをやるように言われたがどうやるのか全く分からない。毎日本を読みながら苦労に苦労を重ねたが全くできない。ところが、当時沖縄サミットの前で沖縄県北部に対して特別優遇措置のようなものがあった。そのひとつがネットワークだ。出入りしていたネットワークの業者さんが自分と同郷(東京都板橋区出身)で年齢も近いということですぐに意気投合した。ホームページの開設に苦労していることを伝えると、いとも簡単にテンプレートのようなものを作ってくれた。本当にありがたかった。また経理担当者から計算書(生徒の個人宅に1ヶ月の費用を項目ごとに計算する書類)を作ってもらえないかと相談された。今なら誰でもできることだが20年以上前のことである。それが難しかったのだ。丁重に断ったが相手も諦めない。「困った、困った」と思いながら何か参考になる書籍がないかと毎日のように書店で本を探した。依頼を受けてから2週間ぐらい過ぎたある日、出張で県庁に行くことになった。学校から県庁までは車で1時間半ぐらいかかる。仕事を終えて県庁を出て学校に戻ろうとしたがもう日が暮れそうな時間だった。食事をしてから帰ろうと思い、那覇に来ると寄るいつものお店に行った。そこで食事を待つ間何気なく日経のコンピュータ関係の月刊誌を読んでいた。と、何とそこに自分が今依頼されている計算書そっくりの記事が掲載されていた。その方法が細かく説明されていたので手帳に写し始めた。しばらくして食事が運ばれてきたときに店長が「それバックナンバーだから持って帰っていいよ」と言ってくれた。本当に助かった。学校に戻り夜中まで本の解説通りやって見たらできた。計算書ができたのである。ずっと思い続け、祈り続けたことが叶えられた。天にも昇る気持ちだった。

娘との再会

自分は1度離婚している。前の家庭で女の子がひとりいた。とても可愛くて溺愛していた。大好きで大好きでたまらない子である。それが引き裂かれるように一方的に離婚を迫られ、それを拒否していたら離婚届を偽造されそのまま離婚になってしまった。別れてから2回ほど会ったがそれ以降は会わせたくないと面会を拒否され続けた。子どもに会えない、一緒に暮らせないなら死んだほうがマシ、と良からぬことをしてしまったこともある。とにかく我が子に会いたくて毎日泣きながら祈っていた。日記にもその頃の苦悶が赤裸々に記されている。来る日も来る日も祈るが状況は改善しないし子どもに会える兆しすらない。半ば諦めながらも祈り続けた。13年間祈り続けた。神様は13年間の祈りを叶えてくださった。当時高等学校の教員をしていたが私がいる学校に彼女が受験してきたのである。本当に息が止まるほど驚いた。どういうことなのか理解できなかったがとにかく嬉しかった。無事合格した。彼女には既に新しいお父さんもいたがそんなことはどうでもよかった。13年会えなかった我が子を毎日見ることができるのである。教員の中には私たちの関係を知っている人もいたが生徒は誰も知らない。時々顔が似ていると言われてヒヤヒヤしたことがあったがとにかく卒業までの3年間は至福のときだった。卒業以降、というか彼女が就職してからメールやfacetimeなどで連絡が取れるようになり改めてこの再会には感謝している。

30年

祈り始めて2週間できかれる祈りもあれば、13年後にきかれる祈りもある。聖書には次のような「時」に関する記述がある。

天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。

To every thing there is a season, and a time to every purpose under the heaven:
A time to be born, and a time to die;
a time to plant, and a time to pluck up that which is planted;
A time to kill, and a time to heal;
a time to break down, and a time to build up;
A time to weep, and a time to laugh;
a time to mourn, and a time to dance;
A time  A time to get, and a time to lose;
a time to keep, and a time to cast away;
to cast away stones, and a time to gather stones together;
a time to embrace, and a time to refrain from embracing;
A time to rend, and a time to sew;
a time to keep silence, and a time to speak;
A time to love, and a time to hate;
a time of war, and a time of peace.

伝道の書3:1-8

実は昨日2021年1月2日、30年祈り続けた(?実際には30年間祈り続けてはいないが)ことが叶えられた。2020年の年末にエレン・ホワイトという女性クリスチャンの書いた詩を紹介した。30年前に知ったこの詩が大好きでずっと大切にしてきた。担任した生徒や授業で関わった生徒にはしおりにしてお別れの時に渡していた。ずっと紹介し続けてきたが、何度も「この詩の出典を教えて欲しい」と言われた。エレン・ホワイトという人は数多くの著書を出版しており、その中には日本語になっていないものもたくさんある。おそらくこの詩は日本語になっていないものをどなたかが訳したのだと思うが出典は分からない。内容からおよその執筆年代は分かる。が、それ以上のことは分からなかった。今回、当ブログで紹介したのち自分のFacebookでも紹介した。殊の外反響が多くやはり引用元を教えて欲しいとの連絡があった。それが分からないことを正直に伝えたところ、自分も探してみると言ってくれた人がいた。30年間ずっとその引用元を教えてくださいと祈り続けていたわけではないがことあるごとにこの詩を思い出しなんとか分からないかなと思っていた。大袈裟ではなくこれは自分の命を救ってくれた大切な詩なのである。何度もくじけそうになる時、この詩が暗闇を歩くことが希望であることを教えてくれた。その価値観があったから自分はここまで生きることができた。だからこの詩は自分にとって友であり戦友なのだ。そして昨日その引用元を探し当ててくれた人がいて連絡をくれた。姿を見たことは無いけれど30年間ずっと自分を電話で励まし続けてくれた友人に初めて会えた気分だった。本当に嬉しくて涙が出た。日本語とは違った趣があり、日本語とは違ったところに更なる慰めを受けた。その原文と訳した詩を紹介し今日のブログの結びとしたい。

Trust in Times of Affliction, April 24
My soul shall be satisfied as with marrow and fatness; and my mouth shall praise thee with joyful lips: when I remember thee upon my bed, and meditate on thee in the night watches. Psalm 63:5, 6. HP 121.1

*Many hours I have passed in wakefulness and pain, but I have had the precious promises of God brought so fresh and with reviving power to my mind. The dear Saviour has been very near to me, and I love to meditate upon the love of Jesus. His tender compassion and the lessons which He gave to His disciples become clear and so full of meaning that they are the feeding of the soul upon heavenly manna…. When the Lord sees fit to say, “Lie there patiently, and reflect”; and when the Holy Spirit brings many things to my memory, precious beyond expression, I do not know what reason I have to complain…. I call to mind the verses which have been a comfort to me many times in my affliction: HP 121.2

“I see not a step before me as I tread on another year;
But the past is in God’s keeping, the future His mercy shall clear,
And what looks dark in the distance may brighten as I draw near. HP 121.3

“O restful, blissful ignorance; ‘tis blessed not to know;
It stills me in those mighty arms, which will not let me go,
And hushes my sad soul to rest on the bosom which loves me so. HP 121.4

“So I go on, not knowing, I would not if I might.
I would rather walk in the dark with God, than go alone in the light.
I would rather walk with Him by faith, than walk alone by sight. HP 121.5

“My heart shrinks back from trial which the future may disclose,
Yet I never have a sorrow but what the dear Lord chose.
So I send the coming teardrops back with the whispered word,
‘He knows,’”

45Manuscript 40, 1892. 

 

新しい年を前にして私は行く道を知りません

しかし過去を支えてくださった神は

その哀れみで将来を明るくしてくださる

離れていれば暗く見えるものも

近寄れば明るいように

 

他を望まず、知らなくてもただ進みます

一人で光の中を行くよりは

主と暗闇を行きたいのです

見える道を行くよりは

信仰で主と共に歩みたいのです

 

私の心は閉ざされた将来の試みにひるみます

しかし愛する主が選んでくださったものならば

悲しみません

「主がご存知なのです」とささやいて

私は涙をおしとどめるのです

 E.G.White

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