通院
今日は次男の通院の日。およそ8週間に一度受診して薬の調整などを行なっている。数日前から今日が受診日であること、学校を休んで病院に行くことを伝えていた。が、今日からプール授業が始まる。次男はそのことがとても気になっているようで通院の確認をする度にはっきりしない返事をしていた。想定内ではあったが今朝になって通院よりもプールが良いと言い始め結局両親だけでいつもお世話になっている先生に会いに行くことにした。4月の初めから予定されていた面談及び受診だったが先生が離島の往診に出かけたり体調不良だったりで数回予定が変わって今日の予約となった。
寄り添ってくださる先生
以前からこの先生のことを妻から聴いていた。時々外来受診中の写真も送られて来て次男がこの先生に凄く懐いている様子がすぐに分かった。妻にとっても心の支えになってくださる先生、寄り添ってくださる先生である。
2年前になるが次男が学校で注意を受けた。実際には次男ではなくて他の子が悪さをしていたようで、たまたま通りかかった次男に嫌疑がかけられ注意されたようだ。次男の態度も良くなかったのだろう。声を掛けられても無視して通り過ぎたので、当該の教頭先生が次男のランドセルを引っ張りそのまま次男は転んでしまったようだ。その一部始終を外来受診の時に面白おかしく次男が主治医に話した。次男として話題のひとつとして話したつもりだったが、主治医は劣化の如く怒りすぐに当該の教頭先生と校長先生を病院に呼び出したそうだ。教育現場で20年以上働いてきた妻にとってもこの対応は非常に驚きであった。聞けば、この主治医も我が子が小学生の時に学校に怒鳴り込んだことがあったという。図工の時間に「なんでも好きな絵を描きなさい」と言われ、迷彩柄の模様を上手に描いた。ところがその模様を見た教室の先生が「こんな迷彩柄を描いてはいけない」と厳しく指導したという。これがお父さんこと主治医の逆鱗に触れた。翌日、学校に怒鳴り込んだという。そういう経験があったから次男の話を聴いて黙っていられなかったのだろう。職務の範囲を超えている、と思われてしまうかもしれないが当事者にはとてもありがたいことでありありがたい存在である。
突然
結局、当事者である次男は登校し私たち両親で病院に行った。県内でも有名な大病院である。いつも高速道路からは見ていたが実際に訪問するのは初めてである。受付を済ませて気づいたのだが先生の名前が違う。すぐに受付に行き主治医と会うために来たが、主治医ではない先生の名前が書いてあることを伝えるも要領を得ない。また今日も先生の都合が悪いのか、と思ったが小児外科医だから仕方ない。今日対応してくださる先生に会う前に看護師さんが事前情報をお知らせします、と言って話しにこられた。そこで初めて大変お世話になったこの主治医が4月にご病気で亡くなられたことを知らされた。思わず「え!」と大きな声を出してしまった。次の瞬間、妻の顔を見ると無表情の能面顔になっていた。すぐに安定剤をのんで休ませた。妻が心の底から信頼していた先生の訃報にどうして良いのか分からなくなってしまった。
病院の後、自分は県庁の方で別の用事があるため別行動の予定をしていたが「今日は一緒にいてほしい」と妻から言われた。今まで一緒にいて欲しくない、出ていって欲しいという言葉は何千回も言われたが一緒にいて欲しい、という言葉はここ10年は聞いたことがないので驚いた。自分の用事は日程を変えることもできるので何の問題もない。
天国
帰りの車の中で妻がしきりに主治医の先生がご再臨の時に天の御国に行けるのかととても気にしていた。自分には分からないし、誰が天国に行けて誰が行けないかを考えることは愚かなことだし聖書で禁じられていることを説明した。
多くの子どもたちの命を救った功績と、患者さんやその家族に寄り添う姿勢を神様が全く無視されるとは決して思えない。
この先生に対して心からの感謝をすると共に、結局肉体的に人を救っても自分を救う事はできない人間の限界性を痛感させられた。
ブログ村とブログランキング
宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓