生きる

災難

今日、米国に住む友人としばらくやり取りをしていた。最近の様子が徐々に変化し身の危険を感じることもあると話していた。中絶禁止法案に関する異議が唱えられ今までの価値観が崩れそうな気配を感じているという。また深刻なインフレなどで国民の生活が変わってきており、何よりも銃による犯罪が今までの3倍以上に増えていることで必要最小限の外出しかしないようになったと話してくれた。日本も同様である。折からの円安やガゾリン価格の高騰、そして全ての人に関わりがあるわけではないがインボイスの問題も自分には結構深刻な問題になっている。

昨日もM5.9の地震が北海道で起こり青森も少し揺れた。明日4日には大きな地震があると予言している人がいるらしくネット上には台風よりも地震の情報が真偽問わず溢れている。

熊本豪雨災害

2020年7月3日から4日にかけて激しい雨におそわれた熊本県地方。特に人吉市の被害が大きく、県内犠牲者67名のうちおよそ1/3が人吉市の犠牲者だったという。自分も2018年の西日本豪雨災害の被害にあったので豪雨の恐ろしさを身に染みて感じている。

人吉市を流れる球磨川沿いに中神町大柿地区には58名の住民がいた。夜中になっても一向に収まる気配のない豪雨に、町会長の一橋國廣さん(当時76歳)は携帯電話で雨量と球磨川の水位を10分ごとに記録し続けた。長年球磨川で船頭を務めた経験から尋常ではない降水量に驚いたという。夜中3時に地区の有志3名と相談し避難勧告を出そうと提案するも、「5時になれば明るくなり混乱なく避難できる。もう少し待とう」との助言に一瞬怯むも、やはり避難勧告を出すことを決心。午前3時半過ぎから全戸を周り「すぐに避難しろ」と呼びかけた。3km先の高台に避難することを指示。午前4時過ぎに全員の避難を確認し、結局堤防は午前5時前に決壊し集落は水没した。もしも助言に従って午前5時からの避難に舵を取っていれば集落は全滅になっていた。

犠牲者が出る悲惨な災害であるが、一人が多くの命を救ったことに感銘を受ける。

洞爺丸

以前にも投稿したことがあるが1954年9月26日に起きた洞爺丸事故。青函連絡船の廃止にも繋がった犠牲者1155人を出す海難事故となった。当時は台風の観測など気象レーダーを用いておらず、詳細な台風の情報を得ることができなかったために起きた悲惨な事故である。

この時、3名の宣教師が乗船していた。ディーン・リーパー、アルフレッド・ストーン、ドナルド・オースの3名である。危険が知らされ救命胴衣が配られたが数が足りなかったため、この3人は他の日本人に自分の救命胴衣を譲った。

リーパー氏は救命胴衣が壊れていると泣いている少女を見つけ自分のものを着せてあげた。「わたしは泳げるから大丈夫。これからの日本には若い人が必要です。だから生きてください」と言ったという。ドナルド・オースは奇跡的に生還するがリーパー氏とストーン氏は後日水死体となって発見された。その体に、勿論救命胴衣は無かった。

イエス・キリスト

よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
ヨハネによる福音書12:24

イエス様は「あなたの身代わりになってわたしが犠牲になるから、あなたは生きて。生きなさい。」と言っておられる。

4 Wellington Seino【私と俺と神様】

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“生きる” への2件の返信

  1. 誰かの犠牲になって命を捧げることは究極的な隣人愛であって、そこに天国があり真の救いがあると思います。
    誰かを犠牲にして自分が救われようとすることは完全な自己愛であって、そこには地獄があると思います。
    究極の隣人愛を表すことは限られた人にしか出来ませんが、ちょっとした隣人愛でも天国は表れると思います。
    隣人愛を表しておれば周りの人はいつか解ってくれます。

    1. コメントをくださりありがとうございます。人に対する愛というのは一つ間違えば自己愛にも繋がりますので難しいですね。日々自我を捨てる経験が、神様によって清められ隣人愛にかえていただけるのかな、と思っています。ご感想、コメントをくださり誠にありがとうございます。

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