東大前刺傷事件

荒む心

大学入学共通テストの初日、2022年1月15日にいきなりスマホの画面にニュースが飛び込んできた。朝起きて「今日は共通テストの日だな。共通テストが安息日から外れるのはいつのことなのか?」と思っている時にこのニュースが飛び込んできたのでとても驚いた。再試の検討をしていると報道されていたが何当たり前のことを言ったいるのだと思った。実際に刺された3名のうち2名が受験生だっと言われているが彼らは勿論のこと他の受験生の動揺は計り知れない。動揺して実力を発揮できなかった受験生も多かったと思う。報道によれば犯人は成績上位で生徒会長選挙にも立候補する青年とのこと。

自分は教員時代「神を知らないものに高度な教育を施すことは知恵ある悪魔を育てることにもなりかねないので注意が必要だと言ってきた。実際、教員の中にも知恵ある悪魔は存在していた。ある程度教会の内情を知っている人にとっては、信仰深く見せることはそれほど難しいことではない。神様から心が離れていても信仰的な教員として仕事を続けることは可能なのだ。

社会が望む人間とは何なのかを考えさせられた。脱学歴社会を訴える人々が多くなり「学歴だけで人を判断することはできない」と言われるようになって久しい。しかし、一向にその傾向は変わっていないと思う。第一親御さんが、学歴がある方が幸せに生きられると確信している。本気で心を育てる教育を考えなくて良いのか、疑問を持ってしまう。

Aさん

一昨日、筆記試験(1次試験)を合格したAさんから電話があった。今日が面接試験だったのだが、「あなたは受験者の中で数学の得点がほぼ満点で一位でした。どのような学習をしてきたのですか?」と聞かれたそうだ。彼女は自分が補習をしていたことを面接官に話した。

全く違う。自分は補習を続けて来たが良い指導は決してできなかった。もし彼女が最高点で合格したのならばそれは彼女のポテンシャルと神様がAさんを特別に祝福し必要な学力を与えてくださったからだ。決して面接での数学を話を他の人にしないようきつく口止めした。個人的な努力は勿論必要であるが、神様の力をあてにすることはもっと大事な気がする。そして学ぶ意味を考えることが現代の教育には欠けているのかもしれない。「何のために学ぶのか」という問いに対して明確に答えられるようにしておかないといけない。そうしないと目的と手段が分からなくなってしまう。進学や学歴はあくまで手段であって目的ではない。しかし今の教育は手段そのものが目的や目標になっている。

神様はクリスチャンだけでなく全ての人に計画を持っておられる。神様のご計画を理解し「自己実現」ではなく「神様実現」を考えることが真の教育であり生きる目的だと考える。

2022年1月15日 「幸せの秘訣・2」 安息日礼拝LIVE配信

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