今日の御言葉

詩篇42篇

今日の聖書通読箇所は詩篇33篇から42篇だった。詩篇は42篇から第2巻に入る。第2巻はコラの子孫の歌から始まる。「水求むる鹿のごとく」という讃美歌にもなっている詩である。コラは元々モーセやアロンに対して反逆した。何故自分ではなくモーセやアロンがリーダーになったのか、という気持ちから起きた反逆である。自分に与えられている仕事は自分が正しく評価されていない証拠だ、と言わんばかりの勢いで反逆したのである。いつの時代も同じである。誰が偉いか、そんなことばかり考えている。潰れそうで明日のことも分からない学校であるかつての勤務先でも態度にこそ出さないが「次は自分が教頭か」「自分こそ学年主任に相応しい人間だ」という気持ちで働いている教員が多くいる。コラはそうであったがその子孫はそうではなかった。神様を敬い神様がたてられたリーダーに忠実であった。ダビデはコラの子孫から神殿で讃美をささげる人たちを集めたのである。

聖歌隊の指揮者によってうたわせたコラの子のマスキールの歌 

神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。
わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。
いつ、わたしは行って神のみ顔を見ることができるだろうか。
人々がひねもすわたしにむかって
「おまえの神はどこにいるのか」
と言いつづける間はわたしの涙は
昼も夜もわたしの食物であった。

 As the hart panteth after the water brooks,
so panteth my soul after thee, O God.

The LORD will preserve him, and keep him alive;
and he shall be blessed upon the earth:
and thou wilt not deliver him unto the will of his enemies.
The LORD will strengthen him upon the bed of languishing:
thou wilt make all his bed in his sickness.

詩篇42:1-3

何かの書物で読んだのだが、鹿が谷川の水を飲みにくる行為は極めて危険な行為だという。谷は周りの山から見られている場所である。どう猛な獣が、谷川の水を飲む鹿を見つけたならすぐさま襲ってくる。鹿もその行為がいかに危険かは分かっている。しかしそうせざるを得ないほど切羽詰まっている。一刻の猶予もない程の状況下で神を慕いあえぐ、その様な様子をダビデ(おそらく)は描写している。昔はその描写が分からなかったので、鹿が数頭で谷川の水を気持ちよさそうに飲んで平安を得ている光景を思い描いていたがそうではなさそうだ。神様に頼るしか方法がない、ということであれば自分にもその様子は理解できる。いまの自分が毎日その様な状況下で生きている。神様以外に救いを見いだすことができない。何を以ってしても自分の心に平安をもたらすものは無いのである。

祈り

今日の聖書研究(聖書ではないが)で与えられた書物の箇所が祈りをテーマにしたところだった。いまの自分がささげている祈りを客観的に評価できる多くのことが書いてあった。毎日祈っている時間だけが自分に平安を与えてくれ、神様と交わる時を与えてくれる。それこそ鹿が谷川の水を慕い求める様に祈る。しかし、その祈りがどれほど信仰に裏付けされているかを反省させられる文章が与えられた。

わたしは、神の民が祈りを怠り、特に、密室の祈りを全くといっていいほどおろそかにしているのを、度々見た。また、多くの人々は、彼らの特権であり義務である信仰を働かせることをせず、信仰だけがもたらし得る感情を待っていることがよくある。感情は信仰ではない。この2つのものは全く別のものである。信仰は、われわれが働かせるものであるが、喜ばしい感情と祝福は、神がお与えになるものである。神の恵みは、生きた信仰という通路を経て、魂に達する。そして、われわれは、その信仰を働かせることができるのである。真の信仰は、約束された祝福が、実現しそれを感じることができる前に、それをつかんで自分のものとする。われわれは信仰をもって、第2の幕の中に、われわれの願いをささげ、信仰によって、約束された祝福をつかみ、それを自分たちのものとして主張しなければならない。それから、われわれは、祝福を受けることを信じなければならない。なぜならば、信仰が祝福をつかんでいるのであって、み言葉にあるとおりに、それはわれわれのものだからである。「なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう」(マルコ 11:2 4 )。ここに、われわれが祝福を受けたと感じる前に、受けることを信じる信仰、すなわち、真の信仰がある。

エレン・ホワイト 初代文集 電子版P88,89

御言葉によって大きな祝福をいただけた日を心から感謝したい。

As The Deer 鹿のように 英語賛美日本語訳

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