聖書の記述
聖書にはイエスキリストが磔刑で命を落とし、その後遺体を葬るためにアリマタヤ出身のヨセフという人がイエスキリストを引き取った。そのことが福音書には明確に記されている。
夕方になってから、アリマタヤの金持で、ヨセフという名の人がきた。彼もまたイエスの弟子であった。この人がピラトの所へ行って、イエスのからだの引取りかたを願った。そこで、ピラトはそれを渡すように命じた。ヨセフは死体を受け取って、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った彼の新しい墓に納め、そして墓の入口に大きい石をころがしておいて、帰った。
マタイによる福音書27:57-60
イエスキリストは墓に葬られた。現在ではその墓がエルサレムの「ヴィアドロロサ(悲しみの道)」の最終ステーションである「聖墳墓教会」であるとされている。諸説ある様でそれほど離れていない場所にある「園の墓」というところこそキリストの墓であるという人もいる。もう25年ぐらい前になるが春休みを利用してイスラエル、ヨルダンの聖地旅行に参加したことがあるがその時に「聖墳墓教会」と「園の墓」の両方を見学した。墓はあるがキリストはその墓に3日しかおらず3日目に復活してその墓を出てしまう。これがイエスキリストの墓に関する聖書の記述である。
青森にあったキリストの墓
4月から青森に来ているが、本当のことをいえばこの土地に来たくて来たわけではないので何かを期待していたわけではない。が、ひとつだけ興味があった。それは「キリストの墓」が青森にあるということだ。随分前に青森にキリストの墓があると聞いたことがありテレビでもそのことを報道していたのを記憶している。これは興味があるというよりはある意味キリスト教に対する冒涜の様な気もしているが一度は見てみたいと思っていた。青森で仕事でもしていなければわざわざ他の県から青森を訪ねる事もしなかっただろう。という事で先日新郷村にある「キリストの墓」に行ってみた。黒石を抜けて十和田湖を目指し十和田湖畔から国道454号線をひたすら行くと新郷村に着く。自分が住んでいるところからは片道2時間半ぐらい掛かるので結構遠く感じた。やっと到着したが観光客、見学者は自分ひとりだけであった。6月にはキリスト祭というものが行われ(何故か神道式で行われる)がその時は多くの人で賑わうそうだ。墓のあるところに登って行くと左右にひとつづつ、都合2基の墓がある。向かって右側がイエスキリストの墓、左がキリストの身代わりになって磔刑で死んだイエスの弟「イスキリ」の遺髪が埋葬されているという墓。勿論イスキリなる人物は聖書に登場しない。
十和田湖を抜けて国道454に入る
キリストの墓に到着
これがキリストの墓(柵の先に祠が見える)
イエスキリスト、キリストの墓に関する伝承
キリストは21歳の時に来日し神学修行を重ねた。33歳でユダヤに戻り伝道活動を行うも民衆からは受け入れられず磔刑に処されそうになる。この時弟のイスキリが身代わりとなって死にキリストはシベリヤを経由して来日し戸来村(へライ村 現在の新郷村)に入る。ここで日本人女性と結婚し3人の女の子を授かり106歳まで生きた。キリストの日本名は「十来太郎大天空(トライタロウダイテンクウ)」という。キリストは鼻が高く赤ら顔だったことから、大天空が訛って「天狗」になったとも言われている。このキリストの末裔が沢口家であるという。なるほど、沢口家の家紋はダビデの星を思わせるものである。ちなみにこれらの伝承は宗教家の「竹内巨麿(タケウチキョマロ)」が記した「竹内文書」に記録されている。キリストの遺言まであるから驚きである。ちなみにこの土地に伝わる盆踊り「ナニャドヤラ」は日本語では意味をなさないがヘブル語では神を讃える文言になるという。またこの土地に古くから伝わる風習もユダヤの習慣とそっくりであるという。例えば野良着。これはテンプル騎士団の装束に似ている。初めて外出する赤ちゃんにはその額に十字を書く事や喪に服す家は十字架を掲げるなどの習慣が挙げられる。そもそも「戸来(ヘライ)」という地名自体「ヘブライ」から来たのではないかという。
キリスト教の観点から
この村に住む人もこれがキリストの墓だとは信じていないという。村興しの一環で仕組まれたものだというのが定説だという。キリスト教の立場からすれば、もしもこれが本当であったら大変なことになってしまう。キリストが磔刑で亡くなったことで人類は贖われ(キリストの死と十字架で流された血によって買い取られた、という意味)のに、それがそもそも無かったとなると人類救済計画がなかった話になってしまう。恐ろしいほどに馬鹿げた作り話である。が、この様な話をわざと取り上げ面白おかしくミステリーにするメディアがそもそもおかしいのである。イエスキリストの十字架がなかったこと、ならば自分が今まで信じて来たことは一体何だったのか?もしもイエスキリストが実在しないというのならそれこそ人生に希望などないし生きる意味など無い。今すぐこの世から消える道を間違いなく選ぶであろう。因みに青森には釈迦の墓もあるという。釈迦と墓を掛けているのか?洒落にしては稚拙である。本州最北端の青森、恐山もあるしミステリーには事欠かない地ではあるがキリストの墓があるということ自体何でもありだな、と思ってしまう。
キリストの墓(今回の見学を動画にまとめて見た)
青森にあったキリストの墓
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