誰かが
随分前になるが、送迎車の駐車スペースを確保するために「駐車禁止」の看板を付けるよう指示された。アイデアがなく不器用なので良いものではないがない力を最大限に発揮して看板を取り付けた。が、津軽地方は強風に見舞われることが多い。また冬の時期は雪に埋もれることもしばしばなので落ちてしまうことが多い。その度に設置し直すのだが今日はもう少し本格的な修繕をしようと考えた。ある程度分解して再度組み立てようとしたのだが、よく見るとどなたかが補修した形跡がある。自分の方法ではないからすぐに分かる。こんな粗末のものを補修して使ってくださる方がいることを思いとても心が温かくなった。
一方、昨日見なければ良いものを見てしまいずっと落ち込んでいる。自分の責任なので仕方ないことである。誰かが自分のコンピュータで作成したものを盗み取っている。もしかしたらフォルダーごとコピーしているかもしれない。
記念碑
旧約時代には、特別なことがあって神様に感謝したい時に祭壇を築いたり記念碑を立てることがあった。例えばヨシュア率いるイスラエルの民がヨルダン川を渡った時。
イスラエルの人々はヨシュアの命じたとおりにした。主がヨシュアに告げられたように、イスラエルの人々の部族の数に合わせて、十二の石をヨルダン川の真ん中から拾い、それらを携えて行き、野営する場所に据えた。
ヨシュアはまた、契約の箱を担いだ祭司たちが川の真ん中で足をとどめた跡に十二の石を立てたが、それは今日までそこにある。
主がヨシュアに命じて民に告げさせたことがすべて終わるまで、箱を担いだ祭司たちはヨルダン川の真ん中に立ち止まっていた。すべてモーセがヨシュアに命じたとおりである。その間に民は急いで川を渡った。
民が皆、渡り終わると、主の箱と祭司たちとは民の先頭に立った。
ルベンとガドの人々、およびマナセの半部族は、モーセがかつて告げたとおり、隊伍を整え、他のイスラエルの人々の先に立ち、
約四万の武装した軍勢が主の前を進み、戦うためエリコの平野に向かって行った。
その日、全イスラエルの見ている前で、主がヨシュアを大いなる者とされたので、彼らはモーセを敬ったように、ヨシュアをその生涯を通じて敬った。
主はヨシュアに言われた。
「掟の箱を担ぐ祭司たちに命じて、ヨルダン川から上がって来させなさい。」
ヨシュアが祭司たちに、「ヨルダン川から上がって来い」と命じ、
主の契約の箱を担ぐ祭司たちはヨルダン川から上がり、彼らの足の裏が乾いた土を踏んだとき、ヨルダン川の流れは元どおりになり、以前のように堤を越えんばかりに流れた。
第一の月の十日に、民はヨルダン川から上がって、エリコの町の東の境にあるギルガルに宿営した。
ヨシュアはヨルダン川から取った十二の石をギルガルに立て、
イスラエルの人々に告げた。「後日、あなたたちの子供が、これらの石は何を意味するのですかと尋ねるときには、
子供たちに、イスラエルはヨルダン川の乾いたところを渡ったのだと教えねばならない。
ヨシュア記4:8-22
ヤコブが幻を見た時、モーセが祈りによってアマレクに勝利した時、ノアが箱舟から出た時、アブラハムはいたるところに祭壇を築いている。
こういう痕跡をみると、かつてそこに誰がいたのかが分かったという。
傷跡
痕跡の決定打はやはりイエス様の手に刻まれた釘の跡、だと思う。どれだけ人類、人々、そして無価値な自分を愛してくださったかを示す痕跡。どれだけの犠牲を払ってくださったか、の痕跡。この傷跡に対して何をしたら良いのかを考えていた。ちょうど今朝読んでいいた書物にそのヒントがあった。
それに反して、自分を愛する精神は、サタンの精神である。世俗の人々 の生活にあらわれている主義は、手に入れよ、手に入れよである。こう して、幸福と安楽を得ようと望むのであるが、まいたものの実は、不幸 と死である。
神がその民を祝福することをおやめにならない限り、彼らも神が要求 されるものを神にお返しする義務がある。彼らは、ただ単に、神に属す るものをお返しするだけでなくて、感謝のささげ物として、物惜しみせ ぬささげ物を神の宝庫にたずさえて来なければならない。
患難から栄光へ電子版p259 豊かにまく者は豊かに刈り取る
人々は、自分たちの財産を確保したいと思っているであろうか。それな らば、財産を十字架の傷あとのある手にゆだねるとよい。彼らは、資産 を享受したいと思っているであろうか。それならば、貧しい人々や苦し んでいる人々のために用いるとよい。彼らは、財産をふやしたいと思っ ているだろうか。それならば、「あなたの財産と、すべての産物の初なり をもって主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は満ちて余り、あなた の酒ぶねは新しい酒であふれる」という神の命令に耳を傾けるとよい(箴 言 3:9、10)。もし彼らが、利己的な目的のために、財産を保留し ておこうと思うならば、それは永遠の損失になる。しかし、もし宝を神 にささげるならば、その瞬間から、それに神の刻印が押される。それは、 神の不変性をもって印される。
患難から栄光へ電子版p264 豊かにまく者は豊かに刈り取る
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