夏の終わり
連日雨模様の青森も昨日、今日と久しぶりに晴れた。しばらく前から外のペンキ塗りをしているので熱中症対策を心がけながら暑さと戦っている。日中はものすごく暑いが日が暮れると急に涼しい風が吹く。そして夜ともなると若干肌寒く感じるようになって来た。夏の終わりである。夏の終わりといえば「ツクツクボウシ」の鳴き声であるが、自分が住んでいる周辺ではその鳴き声を聞いたことがない。汗を大量にかく自分にとって、夏は苦手な季節であるが「夏の終わり」はなぜか寂しい気持ちになる。お盆の終わりには灯籠流し、精霊流しがありそして花火。灯籠流しや精霊流しは経験ないが、花火には心が踊る。昔は花火大会を見つけてはどこにでも観に行く元気があったが最近は近場だけで十分。しばらく前に弘前で行われた花火大会に行ったが今回は藤崎町で行われる「津軽花火大会」。この辺では一番大きな花火大会である。
花火大会
8月20日は朝から雨が降っていた。「今日は花火大会があるかな?」と考えていた。日没過ぎからネットで開催状況を調べていたが「確認中」とだけ書かれていた。こういう時の判断は非常い難しいのだと思う。天候だけでなく風速や風向きも計算に入れているのだろう。最終的に開催の40分ぐらい前に「本日開催」となったので出かけてみた。津軽花火大会は医院の病棟からも見える。が、入院患者さんに紛れて花火を観るのも申し訳ないので、家から徒歩5分ぐらいにある「川部駅」手前の開発中の新興住宅地で観ることにした。距離はかなりあるが、徒歩で行けるので駐車場や帰りの混雑を気にしなくて済む。津軽平野、今の所この新興住宅地から花火まで遮るものが殆どないので助かった。現在ものすごい勢いで住宅が造られているので恐らくこの場所で見学できるのはこれが最後になるだろう。周りには全く人がいない場所で贅沢に観覧できる。
玉屋、鍵屋
海外も含めると花火の歴史はものすごく古い。日本でもイエズス会の大分で打ち上げた花火などが比較的初期のようである。江戸時代になると戦争も無くなり「火薬屋」が登場する。江戸は昔から火事の多い所だったので花火を禁じる時期もあった。また失火に対する罰も重く今のようにどこでも花火が上がる時代ではなかった。岡崎を中心とした三河地方は江戸幕府から唯一花火の製造と保管が認められた場所であり、現在もこの地方には花火関連の会社が軒を連ねる。江戸で言うと、鍵屋初代弥兵衞が奈良から江戸に出て来て花火を作り始めたのが1659年。屋号を「鍵屋」として両国横山町に店を構えた。現代も続く「隅田川花火大会」は1732年、徳川吉宗が大川(隅田川)で大飢饉とコレラで亡くなった人の霊を鎮めるために行った花火を1733年以降幕府は継続し現代に至るという。鍵屋の6代目「清吉」が鍵屋から暖簾分けをして「玉屋」を作った。が、1843年に玉屋から失火。幕府から財産没収と営業停止命令を受け残念なことに1代で消滅してしまう。花火の掛け声と言えば「たまやー」の方が有名だが実際には鍵屋が本家であり、また現在も続いている。両国橋を挟んで上流が玉屋、下流が鍵屋。交互に打ち上げられる花火をみて綺麗な方の屋号を言うのが「たまやー」「かぎやー」のルーツ。
花火
とても綺麗な花火であるが、その命は非常に短い。その一瞬で人の心を和ませたり、勇気付けたり、感動させたりできる。とても感慨深い。
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