節 目

オンライン同窓会

本日、2月28日にかつて担任をした学年の同窓会が行われた。海外にいる生徒も多いため日本だけでなく海外時間にも配慮した非常に長い同窓会だった。全体集会は日本時間の午後8時から10時30分まで行われた。グループセッションでいくつかのルームが用意されており適当にお話ができるようになっていた。最近の文明の利器にはなかなか疎いので若い子たちが考えることの緻密さには舌を巻いている。

全ての参加者が近況を語り合った。うまく行っている生徒もいれば大学を途中でやめた者もいる。仕事を辞めたり、留学を一時中断して帰国している人もいる。しかしまだまだ若い。何度でもやり直しができるし、大学を辞めることぐらい失敗でもなんでも無い。是非この同窓会をひとつの節目にこれから将来を見つめて頑張って欲しい。

それにしてもひとりひとりの顔を見ていたら何故か涙が出て来てしまった。懐かしいからなのか。よく分からないがとにかくひとりひとりとネット上とはいえ会えたことが本当に嬉しかった。

息子の誕生日

今日は次男の誕生日でもある。昨日からずっと次男の誕生の過程を思い出していた。27日から陣痛が始まり夜中に病院に行った。出産まではもう少し時間がかかると言われ病室で本格的な陣痛が始まるのを待った。28日のお昼前からいよいよ産まれるような雰囲気になり分娩室に運ばれた。この出産にはいくつかの不思議なことが重なっていた。そのひとつは生まれてくる子どもが逆子だったこと。後半の検診では帝王切開にして出産をしようということになっていた。ところが出産直前になってまた元の逆子では無い状態に戻っていた。お医者さんもこんなことは珍しい、と首を傾げていた。もしこの個人病院で帝王切開で生まれていたとしたら、次男の異常に気づくことができず処置が遅れてしまい命を落としていたかもしれない。自然分娩になったがなかなか産まれない。数時間頑張ったが尋常では無い難産で、この病院の院長が救急搬送を決意した。個人病院に救急車が到着し一番近い高度医療センターに搬送された。そこでも自然分娩で産もうとしたが妻の泣き叫ぶ声が待合室にまで響いて来た。想像を絶する難産であることが分かった。急に胸騒ぎがした。結局医療センターでも自然分娩を諦め帝王切開で出産することになった。午後6時頃、次男が産まれたが抱かせてもらうことができず、「少し検査をします。お父さんだけこちらに来てください」と言われて別室に連れていかれた。まだ検査をしていないので断言はできないがいくつかの問題を抱えていることが考えられる、今から小児外科とNICUがある病院に搬送するので一緒に来て欲しいと言われた。何を言われているのかよく分からなかったが緊迫した状況であることは分かった。出産を終えてぐったりしている妻に心配をさせないよう「少し別の病院で検査があるみたい。でも多分大丈夫だと思うよ。一緒に行くから今日はゆっくり休んでね」とだけ伝えて搬送してくれる救急車の後を自家用車で追いかけた。

息子の状態

すぐに色々な検査が行われたが、搬送の途中で呼吸が苦しそうだったので途中で待ち合わせて乗り合わせた小児外科医が救急車の中で切開などの処置をして搬送したとのことだった。実は小児外科の先生が救急車に途中から同情してくれたことも奇跡だった。普段は病棟にいない時間帯に先生がいらして電話に出てくださったそうだ。状況を聴き危険であると判断し病院まで搬送していたのでは間に合わないかもしれないと判断し途中のサービスエリアまで迎えに来てくださった。これもいくつもあった不思議な出来事の一つだった。
病院に着くなり幾つもの書類にサインをさせられすぐに1回目の手術が行われた。

染色体異常から起こる特異体質で食道や腸、肛門など数カ所が繋がっていない状態だった。病院で簡単な説明を受けたがよく理解できなかったので、言われた通りのことを看護師である姉に電話して聞いて見た。姉はしばらく無言だった。「辛いけど少し覚悟しておいたほうがいいかもしれない」と言われた。これだけ消化器系が繋がっていない症例はそう多くはないとのこと。極めて厳しい状況であるとのことを伝えられた。

妻にも本当のことを伝えられない状況でずっとこの状況を抱えることが重すぎた。でも一番頑張っているのは次男だ。彼が一番辛いはず。だから自分も頑張らないといけない、と自分を奮い立たせた。翌日は手術がないということだったので一度自宅に戻った。気持ちを整理すること、そして子どもの出生届を出したかったからだ。名前は最後まで夫婦間で意見が合わなかったが、あれだけ苦労して産んでくれた妻の考えた名前をつけるのが一番良いことだと思い、出生届にその名前を書いて提出した。風前の灯のような命。いつ消えてしまうか分からないがせめてこの地上に生きた証を残したく出生届を出した。

次の手術は命に関わる大手術であることを告げられた。産後で体調が戻らず入院中の妻に初めて次男の様子を伝えた。そして次の手術が最も危険であることも伝えた。妻は頷きながら静かに泣いていた。「何かあるんだろうな、何かを隠しているんだろうな」とは思っていたという。その大手術の日、妻は1日外出許可をもらってNICUにいる我が子に会った。たくさんの管を外され父母それぞれが抱っこさせてもらい写真を撮った。そして3人でも写真を撮った。これがもしかしたら最初で最期の写真になるのかもしれないという怖さがずっとあり、抱っこしながらふたりとも泣いた。子どもの前で気丈に振舞おうとしたが号泣してしまった。

手術は10時間を超える大手術だったが無事成功した。兎に角泣けた。泣けて泣けて仕方なかった。

そんな状況を乗り越え、受けた手術は大小合わせて10回以上。そのうち命に関わる危険な手術はこの時ともう一度あった。多くの手術を終えた後、1歳の誕生日を迎える前から原因不明の「周期性嘔吐症」に悩まされその後何年も病院で過ごすことになってしまった。しかしそれでも神様はこの子を守ってくださった。そして今日、8歳になった。本当に奇跡である。

辛いことばかりの毎日で、神様が今までしてくださった沢山の奇跡を忘れてしまいそうになる。誕生日を迎えるこの日を節目に、もう一度神様に感謝をささげ心から信じてしたがって生きたいと思っている。

子どものことを考えただけで涙が出てくる

イエス様が自分たちを子どもとして天国に迎えてくれる讃美歌
Welcome Home Children

今日の同窓会を行なった学年と作った卒業記念品のピザ窯
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