父との電話
今日、実家から電話があった。昨日、姉が私の近況を両親に話すと言っていたのでそのことだろうと思い電話に出た。父からだった。昨日は3日早い91歳の誕生日会をしてもらった様なのでそのことを話したが、直ぐに「その後大丈夫なのか?体調は大丈夫か?」と自分のことを気にかけてくれた。青森に行くことは昨日聞いた様なので、途中で実家に寄って休憩することを伝えると「いつでも大歓迎だから遠慮なく来なさい」と言ってくれた。人と話しをする事が無く、いつも「不要だ」「いらない」「出て行け」とばかり言われているのでこういう言葉をかけて貰うとそれだけで涙が出て来てしまう。父も何かを悟ったのか「お母さんに変わるから待ってね」と言ってそそくさとかわってしまった。
母との電話
「もしもし」
いつもの母の声だ。認知症の母は繰り返し同じことを話し同じ質問をする。
「仕事は青森になったって聞いたけど、青森の学校に行くの?」
「学校じゃ無くて病院だよ。これから病院で働くんだよ」
「病院の学校で働くの?」
「病院の学校じゃ無くて病院で患者さんやデイサービスの利用者さんの送迎をするんだよ。あとは院長先生のお手伝い」
「もう少しで定年なんだからもう少し学校にいさせてくれたらいいのにね。ここまで頑張ってきて教頭先生になったのに最後は冷たいね」
「そうじゃないよ。学校は今生徒が減っているからひとりの先生を雇うのが難しいんだよ。僕が休んでいる間に他の人が代わりに入ったから僕が抜けるのは当然なんだよ」
「じゃぁ、青森の学校に行くの?」
こんな感じで話がずっと同じところをループする。不思議と母に対してイライラはしない。何度聞かれても同じことを答える。でも、今日は母と話しながら涙が出てきてしまって途中から泣き声になってしまった。まずいと思いながらも上ずった声はどうにもならない。何度も同じことを聞いている母だけどやはり息子のことが心配で不憫なのだろう。母も泣き声になって声を詰まらせていた。
「◯◯さん(妻の名前)は一緒じゃないの」
「そうなんだ。沖縄にいるんだよ」
「別れちゃったの?」
「今の所まだ別れていないよ」
「そうなの…」
また母が泣いている。
57歳になってまだ親に心配をかけている親不孝もの。本当に生きる価値がないと心の底から思った。
「一人だと寂しいでしょ。青森まで運転するのも大変だからお父さんにそっちに行って貰うようにするから」
91歳の父が一人で来られるわけないし来られたらそれこそ大変なことになってしまう。
「大丈夫だよ。ずっと一人だから慣れているしお父さんが来ても車にいっぱい荷物を積んで走るから乗る場所がないよ」
「そうなの、何でも言って来なさい。お父さんをそっちに行かせるから」
とまた同じことを言っている。もう何を話しているのかよく分からない。とにかく両親の愛情に包まれて嬉しいいのと、親不孝の自分が情けないのと、今までずっと誰にもさらけ出せなかった感情が一気に溢れ出てしまったのとで涙が止まらない。
「ずっとうちにいなさい」
本当に泣けた。
「そうもいかないよ。働かないと子どもを育てられないから」というのがやっとだった。
居場所
自分はこの1年半で自分の居場所を次々と失って来た。物理的な居場所、精神的な居場所共に失って来た。不要、出て行け、必要ない、ばかりが自分に浴びせられて来た。仕方ないことだと自分でも受け入れている。実際その通りの存在であることは自分がよくわかっている。しかしずっと同じことを言われ続けたらやはり心底その通りだと思ってしまう。自分は勿論だが、世の中には居場所がない人がどれくらいいるのだろう。ひとりぼっちの人、集団や家族といても居場所がない人、今日寝る場所がない人、色々な境遇で辛い思いをされている方がいるのだと思う。自分がもしももう少し立ち直ることができたら、居場所のない人に寄り添える人間になりたいと思う。居場所がないのは辛い。
神様はどれほど大きな罪を犯した人間にも、イエス様を信じるのであれば天国に迎え入れてくださる。「おかえり、わが子よ」と言ってくださる。居場所のない人間にとって「おかえり」と言ってもらえることはどれほど感動的なことか。「おかえり、わが子よ」と歌っている讃美歌がある。
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