価値6

「だいぶ覚えたね」

今日、患者さんを乗せて車を運転しているときに、いくつかの出来事があった。ひとつは「白鳥」が群れで稲刈り後の田んぼにいたこと。自分の記憶では白鳥をここまで間近で見たのは初めてだと思う。水上を優雅に泳ぐ姿は見たことがあるが田んぼにいる白鳥など見たことは無かった。同乗していた患者さん曰く、稲刈りが終わった田んぼに餌を求めて飛来してくるのだそうだ。確かに津軽地方には何箇所か白鳥の飛来地があることを思い出した。白鳥がこれほど大きい鳥だとは思わなかった。愚かな自分は白鳥を見た瞬間に「ペリカン?」と思ってしまうほど大きかった。これが群れているから結構な迫力であった。

もうひとつ、ある患者さんを乗せて自宅まで送る途中のこと。透析の患者さんは終わる時間や同情する人も多くて2人なので勝手がわかるのだが、外来患者さんはそうはいかない。終わる時間もまちまちだし、終わった患者さんが都合よく皆同じ方向の人とは限らない。というかそんな都合の良いことなどまずない。方向がかなり違う人に同乗してもらうこともたくさんある。今日もそうだった。ひとりの人を除いて他の4名は皆一筆書きで行けるコース上に家がある。しかし、この一人の人をお送りするためにかなりロスが多くなり同じ道を2回通らないといけなくなる。そのような中で、最後に92歳のおばあさんを送ることになった。「今日はお送りが一番最後になってしまい申し訳ありません」と詫び、最後の迷路のような道に入った。この道は何度も迷った道だ。今でこそ簡単に通り抜けられるけど、曲がるところを一箇所間違えると畦道の袋小路に入ってしまう。何度となくそこに入ってしまい、この92歳のおばあさんに不安な思いをさせてしまっていた。が、今は迷うことはない。すると「だいぶ覚えたね」とお褒めの言葉を後部座席からかけてくださった。

頼られることで確認できる価値

このおばあさんは少し前に小学校から一緒だったお友達を亡くされた。自分も何度も送り迎えをしたSさんだ。目がご不自由だが、当院ができた頃からの患者さんで20年以上通院されていた。今年の夏、畑で熱中症で倒れているところを発見され救急搬送されたがそのまま亡くなられた。Sさんとずっと一緒だったこのおばあさんはSさんが亡くなって本当に寂しそうにしておられる。口数も減ったし表情にも笑顔がなくなった。そんなおばあさんからかけられた声だったのでとても嬉しかった。自分の仕事は運転免許さえあれば誰にでもできる仕事だとずっと思ってきた。確かにそうなのだ。しかし一旦患者さんとしてこの車に乗ったら、自分のような者に頼り託すしかないのだ。道に迷ってもとにかく頼るしかない。そう考えた時、「誰にでもできる仕事ではあるが走り出したら自分しかできない仕事をしている」とも言える。

人に必要とされ、頼りにされることで人の存在価値が顕になる。

20211023礼拝 説教 東清志

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