青砥藤綱
鎌倉時代後期の武士に「青砥藤綱」という人物がいる。上総とも武蔵とも言われる出身で青砥藤満の妾の子という伝承もあり。『弘長記』によれば伊豆の武士で承久の乱で上総国青砥荘を領した大場近郷の子孫と伝えられる。11歳の時に出家したものの、21歳の時に還俗して家に帰った。学問に優れ、儒教や仏教に広い知識を有していたという。
この人物の名前は知らなくてもそのエピソードを知る人は多いのではないだろうか。ある日、滑川歩いていた時に誤って銭10文を川におとしてしまった。ところでこの1文がどれほどの価値なのか、良くわからない。古典落語に出てくる「時そば」は16文である。藤綱が落とした10文がどれほどの価値があるかはわからないが恐らくそれほど大きな額ではないだろう。一説には1文18円とも言われている。自分がもしも200円を下水溝に落としてしまったら、あるいは自動販売機の下に転がっていってしまったらどうするだろう。恐らく諦めると思う。しかし、この藤綱は人を雇って川に落ちた10文を探させたという。そして50文を支払って雇った甲斐あって、落とした10文を見つけるのである。10文を得るために50文を失うとは40文の損だと周りから言われるのだが、意に介さず藤綱は「川に落ちた10文は死に金。しかし50文を支払って生き金になった。自分は今日60文を得た」と周りに言った。
現代の価値観
もしも5年使ったスマホが水没してしまったらどうするだろう。修理にかかる費用が40000円。新調すると60000円。恐らく多くの人が「5年も使ったからそろそろ新調しても良い頃」と新しいものにするかもしれない。
Macなどはその良い例である。古いMacを後生大事に使っていると修理金額も相応になる。Appleの純正修理を依頼するととんでもないことになる。以前使っていたMacの調子が悪くなり修理に出そうとしたところ、担当の方が「修理金額が24万円になります」と伝えてきた。一瞬耳を疑った。24000円の間違いではないですか?と聞き返してしまった。なぜなら購入金額がおよそ20万円だったからだ。購入金額を超える修理代金。そして現行品の最新モデルを買ってもおつりが来る修理金額。勿論修理はしなかった。
最大の愚かさ
藤綱を超える究極の愚かさを示された人がいる。イエスキリストだ。計算の方法は分からないが、かつてこの地球に存在した人の数を推定で計算した人がいる。その計算によるとおよそ1080億人だという。イエスキリストはこの1080億人のために十字架の犠牲を支払ってくださった。そう考えると、少し納得できる。しかし、そうではない。もしもこの地上に自分1人だけが唯一の人類として存在し罪人だったら、イエスキリストはたった1人の自分のために十字架にかかられるという。まるで狂った計算、愚かな価値観である。しかしその愚かなことを本当になさったのである。
クリスマス
クリスマスが近づいてきた。師走の慌ただしい毎日、クリスマスの雰囲気どころではない方も多いと思う。しかしクリスマスはイエスキリストという人がしたとても愚かなことを思い出す日だと思う。もっともクリスマスがイエスキリストの誕生日でないことは多くのクリスチャンが知るところであるが、そのようなことよりも大切なことを見過ごしにしているのかもしれない。世界中で祝われるクリスマス。しかしこれほどその意味が理解されていない日もないと思う。クリスマス、それは宇宙で一番愚かな選択をされたイエス様のところに帰る日だと思う。
「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。」
コリント人への第一の手紙 1:25 口語訳
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