色々な人生

昨日に引き続き今日も違う場所の桜を見に行った。父に「少し遠いけれど歩ける?」と聞いたが大丈夫だというので少し遠くの川沿いを歩くことにした。

満開を少し過ぎている気もするが十分に見応えのあるソメイヨシノ。本当に美しいと思う。川沿いに桜を植えるのは日本人の文化なのだろうか。海外のことが分からないので何となく日本の文化なのかもしれないと勝手に思っている。父も満開の桜に大喜びであった。93歳の誕生日、何もしてあげられず申し訳ないと思いながらも桜に感動してくれる父に感謝。

干支

川沿いは公園になっていて所々にベンチや遊具、釣りのスペースなどが設置されている。時々ベンチに座って休みながら散歩をしていた。ここら辺でもう一度休憩しようとベンチを探したがあいにく空いていなかった。が、座っている人はいたが東屋に少し広めのベンチがあったのでそちらに行ってみた。二人のおばあさんが歓談中であった。そばまで行くと二人が「こっちに座りな」と場所をあけてくれた。父と二人で腰をおろした途端におばあさんたちから色々なことを聞かれた。どこからきたのか、一緒にいるのは息子なのか、奥さんはいないのか等々。

父は言いにくそうに1月に連れ合いを亡くしたと言っていた。父より5歳年下のおばあさんと7歳年下のおばあさんの二人組だった。話好きでひたすら喋りかけてきた。元気そうに見えてもやはり認知傾向はあるようで「何年生まれだ?」と2分おきぐらいに聞いてきた。両親の世代に人は皆同じだが何故か昭和一桁の人は生まれた年を干支で言い直す。横で聴きながら面白いな、と感心していた。

色々な人生

88歳のおばあさんが、自分のことを色々と話してくれた。生まれた場所や嫁いだところ、3年前にご主人に先立たれ今は娘夫婦にお世話になっていること。少し前にコンロの火をつけっぱなしにしてしまいそれ以降台所に立たせてもらえなくなったこと、等々。その中で、丁度1年前に息子さんを亡くされたことを話してくれた。昭和33年生まれというから自分より5歳年上。生きていれば65歳になる息子さん。何が原因かは分からないが昨年3月に亡くなったという。それまで息子さん夫婦にお世話になっていたようだが、それ以降娘さんのところでお世話になっているようだ。自分の方が先に逝くはずだったのに何故息子が、と涙ぐんでいらっしゃった。

当たり前のことではあるが、皆さん色々な経験の中で悩み苦しんでいらっしゃる。この方の生活背景は全く分からないが、神様を知らない方はどうやって苦しみに向き合っているのだろう。心の痛みや苦しみをどこに持っていくのだろう。

こういう方と接する度に、自分がイエス様を宣べ伝えていないことに大きな責任と罪悪感を感じる。

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