弱き者

弱き者の生き方

今、別の投稿記事を書いていたが突然妻からの速達が届き、また離婚届にサインをするよう急かされた。このままでは調停、裁判にするので時間を稼いでも無駄だと言う内容だった。

一気に投稿記事を書く気が失せてしまった。毎日このような状況が続いている。仕事も決まらず家庭も失いどうしたら良いのかと途方にくれるばかりである。「その程度のことで」と笑われてしまうかもしれない。事実自分とは比較にならないほど苦しい状況を必死に生きている方々が沢山いる。そう言う人からしたら私が直面している問題など大したことないのかもしれない。でもこの程度のことでも「死」を考えてしまうほど弱く情けないのが現在の自分である。

祈っても祈っても道は開かれない。もしかしたら本当は神様などいないのかもしれないと、とんでもない不信仰に陥ってしまう。

弱き者はどうすれば良いのか

57歳にして生き方が分からない情けない人間。価値もなく生きているだけで誰かに迷惑をかけている。そう言う人間はどうやて生きて行けば良いのか。生きることを諦める選択肢もある。本当はそれを選びたいし何度かそれを選んできた。でも自分ではそれができなかった。失敗したのである。やはり居ないかもしれない神にもう一度頼るしかないか。よく分からない。悶々とする中で何が最善なのかを考えること自体が面倒になってきている。

弱き者を支える神

行き詰まってどうしようもない状況であるが、何故か少し前に歌った讃美歌の歌詞がなんども頭を巡る。弱き者はその重荷を神様に任せなさい、と言う讃美歌だ。何度も任せてきたが何も助けてくれなかったじゃないか、と言う声も心の何処かにある。助けてくれないかもしれないけどもう一度頼ってみようか。裏切られることを覚悟でもう一度。

弱き者よ われにすべて
任せよやと 主はのたもう
主によりて 贖(あがな)わる
わが身の幸(さち)は みな主にあり

岩のごとく 固き心
砕くものは 御力のみ
主によりて 贖(あがな)わる
わが身の幸(さち)は みな主にあり

われに何(なに)の いさおしあらん
ただ主の血に きよくせらる
主によりて 贖(あがな)わる
わが身の幸(さち)は みな主にあり

死の床(とこ)より 起くるその日
勇み歌わん 主の御いさお
主によりて 贖(あがな)わる
わが身の幸(さち)は みな主にあり

 

この讃美歌の動画はこちら

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