迎え入れる

柴田栄治牧師

今朝の職員礼拝でとても感動的なお話を伺った。柴田栄治とおっしゃる牧師先生が書かれた書物から引用したお話であった。

柴田牧師がある幼稚園での出来事を本に綴っている。その幼稚園では毎年クリスマスシーズンになると「イエスキリストの降誕劇」を保護者や関係者を招いて行う。その年も夏過ぎから降誕劇について打ち合わせがあったのだが、園児に一人発達に個性のある子がいた。名前は「たけ」。男の子である。彼は落ちついて劇に参加できるかどうかも分からない様子なので先生方は「たけ」君をどのような役で参加させるか非常に悩んだ。あるスタッフが「たけ」君の口癖を思い出した。彼は「だめ」「いっぱい」の二言を多く発するという。であればこの劇には最も適した役がある。宿屋の主人である。イエスキリストの良心であるヨセフとマリヤは、ヨセフの出身地であるベツレヘムに「戸籍登録」のために長旅を経てきた。が人口調査で人が各地から帰って来ていたため、宿泊する宿がなかった。

「そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。 これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。 人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。 ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。 ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、 初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。」
ルカによる福音書 2:1-7 口語訳

最終的には泊まるところがなく、ある家の馬小屋に宿泊させてもらうことになった。降誕劇ではヨセフとマリヤが一軒一軒宿を訪ね歩く場面が登場する。いくつも登場する宿屋の主人が、宿を求めるヨセフとマリヤにいうことはどこも同じ。「だめだ、もうこの宿は人でいっぱいなのだから」と二人を受け入れないセリフが語られる。多くの言葉を覚えられない「たけ」君にもこの役なら彼が使い慣れている言葉を言うだけなので大丈夫だと考え「宿屋の主人」という役が与えられた。繰り返される練習でも「たけ」君は上手に自分のセリフを言って大役をこなしていた。そしていよいよ、降誕劇の本番を迎えた。「たけ」君の出番はマリヤが神様から男の子が生まれることを知らされ動揺する場面の次。第二場面、「宿を探すヨセフとマリヤ」である。彼の前に二つの宿屋がありそこの主人が二人の宿泊を断る。

「たけ」君の英断

観客も入っておりいつもよりも緊張している「たけ」君は練習とは違って、引き込まれるように友達の演じる劇に見入っていた。そしていよいよ3軒目の宿、「たけ」君の番である。このヨセフ役の園児が非常に上手な演技をしたようでそれをずっと見ていた「たけ」君は涙を流していたという。そしてヨセフが宿屋の主人である「たけ」君に「今晩一晩で結構です。どうか部屋を貸してください」と尋ねると、しばらく考え込んだ後涙を拭きながら「いいよ、入りなよ」と言ってしまうのである。ここで宿に泊まれることになってしまえば馬小屋まで行けなくなってしまうしこの劇自体が成立しなくなってしまう。観客からは大きな笑いが起こった。しかし、観客が一人また一人と笑うことをやめしまいには会場がシーンと静まり返ってしまった。

本当のクリスマス

観客は「たけ」君から本当のクリスマスの意味を教えてもらったのだ。涙を流しながらヨセフとマリヤ、そしてお腹にいる「イエス様」を気の毒に思って「いいよ、入りなよ」って言ってしまう「たけ」君が、イエス様を迎え入れることこそ本当のクリスマスであることを教えてくれたのだ。劇は再度同じ場所から聖書の記述通り、脚本通りの展開に戻るのだが、この日の観客はもう一つクリスマス降誕劇を観せられ感動して帰って行った。

「あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、 裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。 そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。 いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。 また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。 すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。」
マタイによる福音書 25:35-40 口語訳

10月11日 第10回「世界で最初のクリスマス」 講師:天沼教会主任牧師 近藤光顕 『失われた世界とその回復の希望』

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