2018年7月6日夕方
「T渕、このまま夜の集会に生徒を集めて大丈夫なのか?警報も出ているから今日は寮で待機してもらったほうがいいぞ」「でももうプログラム開始間近だし…。とりあえず集会は予定通りやることにしよう」。3年前の今日2018年7月6日夕方、同級生であり校長のTに電話をした。毎週金曜日の夜にはキリスト教関連のプログラムを行っている。男女各寮から1分ぐらいのところにあるチャペルでその集会は行われる。が、夕方からのひどい雨で寮から出るのも困難を感じるほどである。加えてニュースでは80年に一度の災害に発展する可能性があるので今すぐ命を守る行動を取るように、との報道がなされていた。校長は何とも呑気なものである。「命を守る行動」という言葉をニュースで聞いたのはこの時が初めてだった。何か不吉な予感がした。夜7時に予定通りチャペルに全員が集まり集会を持っていた。集会が始まってほどなくして出席していた教員の携帯に警報が鳴り響いた。土砂災害の警報である。実は自分たちの学校は北側を全面山で覆われる形の立地でそのほとんどの場所がハザードマップに載っているのである。急に胸騒ぎがした。とりあえず生徒を安全な場所に避難させたい、という気持ちで焦って来る。結局集会は少し早めに終了した。今後寮からは出ないようにという発表がされ生徒たちは各寮に帰って行った。学校は標高450mほどのところにあるが下の町は標高が100近く低い。そこで軽トラックを借りて下の町の様子を見に行った。国道432沿いに川が流れているがほぼ冠水状態であった。10分ほど町の様子を見て戻ろうとした時、来る時は通れていた道路が冠水して軽トラックが浮き上がるのを感じた。かなり焦った。少しでも浅いところを探しながら何とか脱出し学校に戻った。家に戻ってニュースを見ると地元のいくつかの地域で土砂崩れが起きていることを知らせていた。全貌は分からないがかなり大規模な災害であることは間違いない。
2018年7月7日早朝
学期に2,3回土曜日の食堂当番というものが回って来る。これは学級ごとに土曜日の食堂作業の全てを担当するもので、配膳や皿洗いや掃除などありとあらゆる仕事がある。この日の食堂当番は自分の学級が担当であった。昨晩は不安と雨音でほとんど眠れなかった。眠いのを我慢して食堂に向かった。生徒はまだ誰も来ていなかったが洗い物から始めていた。途中で少し様子が違うことに気づいた。電気が点いていない。停電しているようだった。急いで自宅から懐中電灯やヘッドライトを集めて再び食堂に戻った。そのうちにつくだろうと期待しながら洗い物をしているうちに1人また1人と生徒が集まり始めた。暗い中での食事で食器消毒の機械も停電で動かないので急遽ディスポザブルの紙食器に切り替えて配膳をした。学期末ということもありこれから色々なプログラムが目白押しという時期だったのでこれからどうなるのか不安がよぎった。体制批判をするつもりはないが校長も教頭も物事の優先順位が見えない人たちなので誤った判断をするのではないかと気が気でなかった。実際、この時全てのプログラムを中止して模擬試験だけを受けさせて早々に生徒を帰省させようという方向に話が向かっていた。昨晩からの大雨で地元でも亡くなられた方が数名いらした。バイクで行けるところまで行って見たが昨日までと全く違う光景が広がっていた。どこが道なのか分からない。何箇所も土砂崩れがあり学校にアクセスするふたつの道のひとつが長さが50メートルに渡って土砂で埋め尽くされていた。電柱も倒されていた。停電の原因はこれだろう。そう簡単に復旧しないことは容易に想像できた。悪夢というのはこういうことを言うのだと痛感した。
愚かな判断
9日日曜日に模擬試験だけはしようとする一部の教員グループがいたが停電しており生徒の安全を優先するために、希望者は帰省させる事になった。担任がひとりひとりの家庭に電話連絡するのだ。自分は日頃から親御さんとコンタクトを取るグループを作っていたので連絡は容易だった。が、自分は帰省させることが本当に良い事なのか迷っていた。と言うのも途中の交通機関が麻痺しているからだ。例えば在来線で広島駅に行くのに通常50分程度で行けるのだが、JRが普通であるため親御さんは土砂崩れを起こしているかもしれない山をこえて学校まで迎えに来なくてはならないのだ。地元のJR駅から東の方に行った隣駅である「本郷」と言う駅までが土砂崩れで大変な事になっていたのだ。結局この区間は復旧までに5ヶ月ほどの時間を要した。唯一安全なのは飛行機。だが、本来の帰省日は12日。それを9日のチケットに振り返るのだから多くの混乱があった。校長、教頭は何もしない。ならば自分で動くしかない。自分で全日空と日本航空に掛け合って災害で緊急避難を要するので12日のチケットを9日から12日までの期間で流動的に変更できるようにして欲しい、とお願いした。こう言う時、航空会社は頼りになる。すぐに確認をとってくれ自分たちがいる地域が甚大な被災地行きであることを確認したので自分の行った通りにすると言う返答が2社からあった。このことを担任と生徒に伝えチケットを振り替えた。こう言うことこそ教頭が動いてくれないと、と思ったがそんな悪口を考えるほどその時は暇がなかった。とにかくできることをできる人がやるしかなかった。評論家はいらない。口だけの人間もいらない。結局11日までに全ての生徒を帰省させた。こんなことで混乱しているのに模擬試験だけは受けさせるなどとんでもなく愚かな判断をしたものだ。
7月6日が来ると本当に悲しくなる。今まで平和だった田舎が牙を剥き出しにした自然界によって滅茶苦茶に壊されてしまった。はげた山肌を見るたびにこの恐ろしさを思い出しなくなった方々を思うのである。私たちの地域はかなり大きな被害を受けたが、幸い学校内で負傷したり亡くなった方はいなかった。結局電気が復旧するまでに1週間を要したがそれ以外は何とかなった。おかげさまで家にはキャンプ用品が沢山あるので炊事には不便を感じなかった。いちばん困ったのは子どもの吸入。車のバッテリーを交流に変換して吸入を行った。ガソリンがあまり入っていなかったのでいつ吸入ができなくなるか不安だった。
西日本豪雨災害2に続く
記録的豪雨の爪痕 広島を襲った土砂崩れ
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