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生徒たちを帰省させて
生徒たち全員が帰省した。学校や家庭には電気がきておらず水もあとわずかしかない。7月10日の段階で水の残量は80t程度。これを50世帯ぐらいで使うわけだから2日ぐらいで無くなってしまう。飲料水はペットボトルのものがあるので洗濯やお風呂に使う水という事になる。生徒たちがいなくなったので仕事をさせようと校長教頭が市役所の支所を借りた。支所は学校から10km弱の所にあり電気も通じていた。ここで学期末の成績処理をするようにとのことであった。疑問を感じながらもそれに従った。しかしいい気分ではなかった。支所の付近は川が氾濫した地域で周りの住民も多くが被災していた。そこに山から一斉に電気を求めて教員たちが支所に来て仕事を始めたわけだ。みんなが協力しあってそれぞれを助けている時に自分たちの事、自分たちの仕事ばかりを優先させる事象クリスチャンたち。翌日の朝から主任クラス以上で会議をするようになった。自分はこの状況を良いと思っていない事、校長教頭は仕事をする場所を提供してあげたと悦に入っているが、こんなことをしている場合ではない。通知表が少しぐらい遅く届いたからと入って日本中の人たちが、自分たちが被災したことを知っている。少々遅れても文句を言う人などいないはずだ。それよりも今は町の人たちで被災された方を助けに行くべきだ、と強く訴えた。すると翌日から急にボランティアに行きましょう、と一気に方向が変わってしまった。この学校の責任者たちは何も判断できないのだと改めて痛感した。何れにしてもその日から町に降りてボランティア活動をするようになった。主な仕事は家に入った土砂のかき出しと清掃、浸水してしまったものの運び出しなど。体力的にも辛かったが、今までの生活が急に変わってしまった傷跡を見て精神的に参ってしまった。何よりも山が変わってしまった。この前まであった山がなくなっている。この前まで谷だったところが平地になっている。この前まで家があったところが更地になっている。そのような光景を見て涙を流さずにはいられなかった。
呉(くれ)
インターネットが情報源だったので1日に数分ネットを見ていた。電気がなくなってしまうのでコンピュータもスマホも常時使用ができなかった。流れるニュース映像がこのと重大さを知らせてくれた。特に呉という町が報道されていたがここは甚大な被害が出た場所のひとつだった。何度も出て来る映像に見覚えがあった。うちの教員の実家だ。泥流が直撃している映像が何度も流れた。実はこの教員がまだ高校生の時に家庭訪問で何度も行ったことがあったので覚えていた。本当に悲惨だった。呉や坂(さか)という地区の被害は甚大だった。他にも本郷地区、矢野地区等々。広島は地震も少なくとても住みやすい場所だと思っていた。数年前も8月15日の豪雨災害で安佐南地区などが被害を受けた。この時もボランティアに参加したが大きな岩が住宅を直撃している場所もあり目を覆いたくなるような状態だった。その時といい3年前の豪雨災害といい、地震とはまた違った恐怖を感じる出来事だった。被災はしたけど自分は命が守られた。しかし市内にある系列の小学校の児童さんはお母さんと妹さん3人で車に乗っているところを流されてしまい命を落とした。一瞬にして全てを奪って行く豪雨災害が怖くて憎くてたまらない。
長男と
毎日ボランティア活動をするために町に出向いていたが、ある日長男も連れてボランティアに行く事にした。この日は重労働ではなく水や食料を届けるボランティアに参加した。長男は地元に幼稚園からの友達がいるので、変わり果てた町の様子を見ながら表情を険しくしていた。1日の仕事を終え子どもと家に帰るとすぐに部屋に入って寝てしまった。余程疲れたのだろうと思いそのままにしていたが夕食にも起きてこなかったので部屋をのぞきに行った。長男は眠っていなかった。天井を見ながら泣いていた。自分を見るなり「神様がいるんだったら何でこういうことが起こるの。パパ、教えてよ。神様は愛の人じゃないの?」。パパの方が聞きたいよ、何でこんなことが起こったのですか、って。なんでこんなことが起こることを許したのですかって。長男は泣きながら神様に対する不満をパパにぶつけていた。言葉では伝えきれないが、本当に「神様、どうしてですか?」とクリスチャンでなくても言いたくなるような悲惨な状況だったのだ。あれから3年が過ぎた。しかし復旧工事は遅々として進まない。恐らくあと5年以上はかかるのではないだろうか。今日、島根や鳥取の大雨の様子をネットニュースで観た。これから自然災害が多いシーズンになるが、神様はどうか自然災害をやめてくださいと祈るばかりである。先ほども祈祷会でそのことを祈って来た。今日は断食して祈る特別な日だったので、日本のリバイバルのために祈った。自然災害で亡くなる方のうちどれぐらいが聖書の神様を知っていただろうと思ってしまう。日本はクリスチャンの割合が1%未満と言われる、世界でも珍しい国である。この国を神様が哀れんでくださり神様を知る人で溢れることを切に祈るものである。
ピザ窯
豪雨災害を教訓に、生徒と共にピザ窯を作った。豪雨災害の時、生徒を帰省させてしまったがそれが正しい判断だったかは疑問がある。被災した家庭にも帰省させ、交通機関が麻痺している中でも帰省させたのだ。水と食料さえあれば学校の方が安全だった。電気は無かったがやるべきことを日中に済ませておけばなんとかなる。そこで、電気がなくても食料のパンを焼けるようにとピザ窯を作ったのである。彼らの卒業記念品として学校に寄贈した。コロナだけでも非日常を強いられる昨今、これ以上の災害は勘弁して欲しい。また、いつどこでどうなるかが分からないこの時代を生きる全ての人が真の神様を知り神様を信じる人になれることを心から祈るばかりである。自分はいつ死んでも、死の先にある世界を知っているし死が終わりでないことを知っている。しかし多くの方々がそのことを知らない。1人でも多くの方が神様を信じ救われることを心から願うものである。
ピザ窯を作った時の動画がこちら
高校生がピザ窯をつくる
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