持って行き場

ある相談

祈祷会に行く前にある人から電話をいただいた。その人の友人という人が抱える問題を相談したいとのことだった。その友人Aさんは現在職場を休職し「傷病手当金」で生活している。職場での不当な扱いが原因で精神的に参ってしまいそれが体調に出るようになった。頻発する頭痛、耳鳴りなどの症状が現れメニエール病と診断された。

Aさんは傷病手当金で次のステップに進むべく資格取得の勉強をしているという。しかし職場に対する不満は募る一方で、このまま何もしないことが悔しくて仕方ないという。そこでAさんは「労災認定」をさせようと考えているがどうしたら良いかとの相談だった。私自身がこの3月まで傷病手当金で生活し、それを強制的に打ち切られて現在の仕事に就くようになったので何か参考になる意見があればと相談してくれたようだ。

例えば仕事中、あるいは通勤途中での事故で骨折したとなれば原因と結果がはっきりしているので労災認定は出やすい。しかし精神的苦痛から来る病気に関しては中々判断が難しく、現実的には認められないことが多い。因果関係の判断が難しいからだ。まず、そのことを話した。その上で何故自分が労災扱いにしなかったかの理由を話した。

自分の場合

上司からの圧力や嘘など苦々しい経験をしてきた。悔しさで体が震え眠れない夜が続き、睡眠導入剤を大量に飲んだ。また当時住んでいたところから空港に行く途中の「空港大橋」から飛び降りようとも試みた。飛び降りの時は、不審車両と思われ尾行してきた警察官に保護されてしまった。薬の時は妻に見つかり救急搬送された。そこまで追い込まれた。そしてそこまで追い込んだ人は現在教団の財務部長をしている。思い出すだけでも悲しくなるが、自分には逃げ場があった。問題を持って行ける場所があった。裁判のことは何度も考えたし弁護士にも相談した。が、戦うことが自分を更に傷つけることも分かっていた。そして自分は復讐ではなく相手のために祈る道を選択した。

イエス様は言われる。

しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
(マタイによる福音書5:44)

また別の場所で、裁きは主のものであって人は裁いてはいけないとも教えている。憎かったけど自分はイエス様の教えに従うことにした。

持って行き場

Aさんの話に戻る。

彼女は自分の正当性を主張し、雇用主の理不尽なやり方をやり玉にあげようとしているのではないと直感した。自分のこの悔しい気持ち、憎しみをどこに持って行って良いのか探しているように思えた。戦うことによって、勝利して得るものとは何だろう。勝利して何が残るのだろうか。憎い相手を懲らしめることで心がスッキリするのだろうか。確かにこの世の価値観ではスッキリするのかもしれない。しかし自分には更に深い迷宮に入り込んで行くように思えてならない。

間接的ではあるがAさんに対して、労基や弁護士に相談するところまでは決して悪い判断だとは思わない。しかしその先の裁判などについては慎重に慎重を重ねて判断することを進めた。そして、クリスチャンの価値観では苦々しい相手のために祈ること、これができた時に本当の勝利を獲得できることをお話しした。

辛くて、悔しくて、悲しくて、寂しくて、倒れそうな日々を送っている神様を知らない人たちがどれほど多いことか。先ほども祈祷会でこれらの方々が神様に出会い、福音に触れる機会が与えられることをお祈りした。キリスト教の価値観がなければ、これほど理不尽で生き辛い世の中はない。

全ての方々が神様に導かれることを心から祈るものである。

10月12日 第11回「聖書の最も大切な教え」 講師:天沼教会主任牧師 近藤光顕 『失われた世界とその回復の希望』

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