新年を迎えるにあたり

新年に対する考え方の変遷

私が小さい頃は新年を迎える準備を色々と忙しくやっていた。ハンドバッグ職人の父は年末ギリギリまで仕事をして納品する。12月30日の午後になってやっと大掃除が始まる。畳を干し、障子紙を張り替え家中の埃を落とす。それが31日昼過ぎまで続く。それが終わると年末の買い物。当時は三ヶ日を休む商店が当たり前だったので買い物を済ませておかないとどうにもならない。お菓子もたくさん買ってもらえる。また新しい洋服も買ってもらえる。昔は欲しい時に洋服を買うのではなく年末に買ってもらうのが我が家の習慣だった。そして家に帰ると夕食の準備。大晦日は必ず「すき焼き」と決まっている。この日は父が料理を担当する。食事が終わると家族で紅白を観ながらトランプをする。それが我が家の新年の迎え方だった。しかし、今は違う。元日から開いているお店がほとんどだ。そもそも年末文化、新年を迎える文化はコンビニの登場によって変化したと考えている。準備をしなくても新年が迎えられるようになったからだ。いつでもコンビニに行けば大体のものが揃う。新年を迎える準備から福袋を買う文化に変化して来たのがここ30年間の日本の変遷だと思っている。

新年を迎える精神

精神的には新年を迎える準備をする人も多い。新年に新しい決心をして何かに取り組もうとする。自分も新年を迎えるにあたり今までたくさんのことを決心し、しかし継続しないで終わってしまった。自分はクリスチャンなのでイエスキリストとの関係をもう一度見直したいといつも考えるが結局例年と同じような関係、熱くもなく冷たくもない生ぬるい信仰しか持てないでいる。今年こそなんとかしたいと思いながら何年同じことを考えて来たことだろう。

新年を特別な思いで迎えた人

私のブログで何度か紹介したことがある19から20世紀初頭に活躍した女性クリスチャン、後世に励ましとなる文章を数多く残したエレン・ホワイトという人が次のような詩を残している。

 

新しい年を前にして私は行く道を知りません

しかし過去を支えてくださった神は

その哀れみで将来を明るくしてくださる

離れていれば暗く見えるものも近寄れば明るいように

 

他を望まず、知らなくてもただ進みます

一人で光の中を行くよりは

主と暗闇を行きたいのです

見える道を行くよりは

信仰で主と共に歩みたいのです

 

私の心は閉ざされた将来の試みにひるみます

しかし愛する主が選んでくださったものならば

悲しみません

「主がご存知なのです」とささやいて

私は涙をおしとどめるのです

 E.G.White

 

彼女はこの詩を19世紀後半に記したと言われている。同じ信仰を持ち二人三脚で頑張って来た夫に先立たれ、また自分の所属する教会から、排斥運動を起こされこれからどのように歩んで行けば良いのか途方にくれる年末にこの詩を書いた。彼女の信仰は自分の過去を支えてくださったことに裏づけされている。どういう将来になるか分からないけど、唯一の頼みが神様の存在だと告白している。ある程度将来が見通せる道を「自力」で歩むのではなく、一寸先は闇という状態を「神様と共に」歩むことが自分の幸せだというのだ。

自分は将来のことが恐怖で仕方がない。これからどうなるのか?仕事も家庭も。そんな不安の中を生きる自分にとって、この不安の中でどのように生きるかを明確に教えてくれる教科書的な詩である。この拙文を読んでくださる方々に神様の祝福があり、幸せに満ちた2021年となることを祈りたい。

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