出会い

小学生の頃

自分に影響を与える人との出会いは人生を変えることがあると思う。自分はダメ人間でロクな人生を歩んでこなかったが良い出会いに恵まれたことだけは自慢できる。その筆頭はなんと言っても両親である。この両親の元に誕生したことは自分をどれだけ豊かにしたか分からない。溺愛ではなかったがその愛情を常に感じる家庭に育つことができた。本当に感謝すべきことである。そんな両親のもとに生まれ育ったのに何故自分のような不完全な不良品が育ったのか、これが不思議であり申し訳ないと思っていることである。我が家は3人ではなく2人の子どもで良かったのではないかと常に思っている。姉と弟のふたり。常に問題を抱え家族を心配させているのは長男である自分なのだ。自分がいなければ両親はもっと幸せな老後を送れた筈、と悲しくも申し訳ない気持ちになる。
次に思い出すのが小学5年、6年と担任をしてくださった先生。児童と良く遊んでくださり何でも教えてくれた。修学旅行の際、バスに酔いやすい児童を集めて「特別な薬だ」と言って何かを飲ませていた。彼らは行きのバスですぐに寝てしまい確かに酔わなかった。後で先生に何の薬だったかを教えてもらって驚いた。先生の持って来たウイスキーだった。「酔う前に酒に酔って寝る」と言って大笑いしていた。今なら懲戒免職になるような重大事件に発展しそうなことだが当時はこんなことが許されていた。因みに今考えればゾッとするが何かの集団予防接種の時、一本の注射をふたりに分けて打っていた時代である。これでみんな肝炎に感染したのだと思う。前の児童が半分打った注射を針を変えずにそのまま次の児童に残り全部を打つ。今でいうなら国が認めたロシアンルーレット式集団処刑だ。先ほどのウイスキーの先生だが、6年生の時にみんなでゴム動力の飛行機を作って飛ばそうということになった。なったというより先生がそういう企画を提案してくれた。そして毎日授業はせずに飛行機を作り続けた。市販のものを作るのだがリブなどの骨組みを丁寧に削ってできるだけ軽量にすることと長時間飛べる工夫をすることが課題だった。そして日曜日にみんなで学校に集まり飛行機を飛ばした。日曜日は先生にとっても貴重な休日なはずなのによく児童を集めていろいろなところに連れて行ってくれた。「先生っていい仕事だな」と最初に思ったのはこの先生がきっかけだった。

子ども

自分には3人の子どもがいる。何となくみんな自分に顔が似ているので申し訳なく思っているが彼らの存在は自分に大きな影響を与えている。1番上の女の子は兎に角優しくて気がきく。音楽の才能に恵まれピアノの演奏に加えて作曲にも精を出している。人の話を聞くのが上手で誰からも愛される子である。篤い信仰心の持ち主で常に神様に奉仕したいと考えている。
真ん中の男の子は現在思春期で少し難しい時期を過ごしているがこれまたすごく優しい、情のある子に育っている。彼も音楽の才能に恵まれ特に彼の弾くバイオリンには独特の響きがあり癒される。正義感が強く愚直で真面目。信仰心に篤く聖書の神様を信じて疑わない。こちらが少し弱音を吐くと「神様は耐えられない試練は与えられないんだよ」と真剣に迫ってくる。
そして1番下の男の子。命の灯火がいまにも消えそうな深刻な状態で生まれてきた子である。国内でも数例しか例を見ないような状況で生まれ今まで大小合わせて10回以上の手術を受け4歳まで病院で育った子である。人懐っこくて全ての人が自分の友達であると考えている。地元の郵便局で出会った90歳を超えるご婦人にも声をかけすっかり仲良くなり家を行き来する仲になった。彼との出会いがきっかけでこのご婦人は本校の教会を訪ねるまでになった。どこまでも明るく努力家。
3人とも自慢の子どもたちである。彼らが自分に与えた影響は計り知れない。何よりも彼らが真剣に祈ることを教えてくれた。

高校時代の先生

今までの投稿にも数回登場しているyuji先生。自分を物理の教員にしたのはyuji先生である。この先生から受けた影響は凄く大きく今でも心に残っている。実は今日がyuji先生の命日なのだ。13年前、2008年1月25日早朝、先生はイエス様の再臨を待ち望みつつしばしの眠りにつかれた。この日のことをよく覚えている。yuji先生は体調不良のためそれまでしていた小、中、高等学校の校長と全教育機関の責任者でもある「教育局長」を退かれ休職された。内緒だぞ、と念を押され難しい病気であることを告げられた。でもyuji先生ならきっと回復すると信じていた。実際医師の見立てでは半年の命と言われていたが半年後はまだまだ十分現役で働ける活力も気力もあった。時々電話をして悩みを相談したり道を見失ったときに叱ってもらったりしていた。自分が3年の学年主任をしていた2007年度、卒業が迫ってきたので「卒業献身会」のメッセージを誰に頼もうか考えていた。というより自分の中では既に決めていた。yuji先生に来ていただこう、と思っていたのだ。同僚や生徒にアンケートをとったところ満場一致で賛成とのことだったので早速yuji先生に連絡をとってお願いをしてみた。奥様によるとこの電話で少し弱っていた体調が不思議に回復に向かったという。yuji先生がかなり体調を崩していることは分かっていたので兎に角間に合うように励まし続け祈り続けた。そしていよいよ献身会の朝、教員は7時半に集まって礼拝をするのだがその日は自分が礼拝の話をする順番だった。何も知らず、その晩の献身会にyuji先生が来られること、そのために祈り続けて欲しいことをメッセージとして語り祈って終わった。その後各部門からの発表があるのだが、突然学院長が肩を落として立ち上がり「今朝早くyuji先生が亡くなられました」と泣きながら発表された。自分は何かの冗談だろうと思うほど冷静だったが心は完全に冷たくなっていた。泣くこともできなかった。あとで聞いたことだったがyuji先生はこの献身会でメッセージを語ることを心から楽しみにされていた。しかし体調が徐々に、確実に悪くなりあれほど心の支えにしていた本校行きの航空券を24日木曜日の夜にご自分でキャンセルしたとのことであった。そしておもむろにペンを取りメッセージを書いてくださった。そのメッセージが新校長のkiyomi先生に届けられた。結局その夜の献身会は自分がyuji先生の思い出とメッセージに即した動画を作りkiyomi校長がyuji先生のメッセージを代読する形で進行した。kiyomi先生と言っても男性である。yuji先生とは高校からの親友で、彼なら信頼できると自分が校長を辞める時にkiyomi先生を校長に任命した。そんな間柄だったからkiyomi先生は代読しながらなんども言葉に詰まっていた。しなくて良い咳払いを何度もして必死にyuji先生の最後のメッセージを読み上げた。泣く以外にその時間を過ごす方法が分からなかった。

これだけ多くの人に愛され、多くの卒業生からも信頼されいつでも弱い立場の人の身になって考えられるyuji先生。もう自分がいる教育機関にyuji先生のような人は現れないだろう。なぜ神様はこういう人の命を取られるのだろうか。不思議でならない。yuji先生がいれば日本の教育界は更に発展したことだろう。yuji先生から別の人が教育界をある意味支配するようになってから多くの問題が起こり生徒数も急激な現象の一途をたどるようになってしまった。yuji先生がいれば…。そんなことばかり考えてしまう。今でもふとyuji先生に相談したくなり電話を掛けそうになる。まだ電話番号は「連絡先」に残ったままだ。「神様、命が必要だったら私の命をとってください。もう福音宣教に有益な人の命を取らないで下さい。自分のような生きているだけ無駄な人間の命をとって下さい」、と間違った信仰、間違った福音理解の祈りをしてしまう。自分が死んだ次の瞬間、もし自分が救われるのであればyuji先生に会える、これだけが唯一の希望である。

あなたがたの会った試錬で、
世の常でないものはない。
神は真実である。
あなたがたを耐えられないような試錬に
会わせることはないばかりか、
試錬と同時に、それに耐えられるように、
のがれる道も備えて下さるのである。

There hath no temptation taken you
but such as is common to man:
but God is faithful,
who will not suffer you to be tempted above that ye are able;
but will with the temptation also make a way to escape,
that ye may be able to bear it.

Ⅰコリント10:13

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